レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

レーシングオン ニュース

投稿日: 2021.10.06 11:00
更新日: 2021.10.06 12:12

『マツダ・ランティス』久々の量産車レースへ挑んだマツダの“非ロータリー”セダン【忘れがたき銘車たち】

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


レーシングオン | 『マツダ・ランティス』久々の量産車レースへ挑んだマツダの“非ロータリー”セダン【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本ツーリングカー選手権に参戦したマツダ・ランティスです。

* * * * * *

 1994年にスタートした2.0リッターNAの4ドアセダンを主とするレース、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)。このレースには、グループA時代から継続してトヨタ、ホンダ、ニッサンが参戦をしていた。この国産三大メーカーに、新たにマツダ加わりエントリーを開始した。そのときにマツダの選んだマシンが、今回紹介するランティスである。

 マツダは、1991年の787Bによるル・マン24時間レース制覇に代表されるようにグループCカーなど、ロータリーエンジン搭載のプロトタイプカーによるレース活動を長らく行っていた。

 そして、JTCCが始まった前後の1990年代前半のこと。マツダは販売店の多チャンネル化、それによる車種の多様化を進めており、そのプロモーションという側面から、JTCCは最適なカテゴリーと車種だったのである。

 マツダとしては、この2.0リッターNAの4ドアセダンを主とするレースに先鞭をつけた英国のBTCCにマツダ本体の活動とは深く関わりはなかったものの、1993年には、クセドス6(日本名:ユーノス500)を用いて参戦していたり、同じランティスでも、よりリヤの開口部が狭いセダンタイプを検討するなど、複数の選択肢もあったようだが、前述のプロモーション目的という面から、スポーティイメージで売り出していたクーペ形状のランティスが選ばれたのだ。

 こうして、いよいよ1993年中にテストカーが完成。1994年の初戦から参戦を開始したランティスだったが、マツダとしては1970年代に“ハコスカ”GT-Rとしのぎを削っていたサバンナ、カペラ以来の量産車カテゴリーによるレースということもあり、コンペティションをする量産車のレースカーを作るノウハウがほぼない状態だったため、他メーカーに常に遅れを取り、苦戦を強いられた。

 さらに、ランティスのセールスポイントのひとつだったV6エンジンも大きくて重たく、さらにピックアップのトルクも直4に比べると不足していたという事情もあり、目立った成績を残せないままに次なるマツダのJTCCマシン、BH型のファミリアセダンに主戦機の座を譲ることになっていく。

 マツダが久々の量産車カテゴリー、しかもロータリーではなくレシプロエンジンを積んだツーリングカーで挑んだJTCCでの活動は、その意欲と思惑とは裏腹に惨敗という結果に終わってしまった。

1994年の仙台ハイランドラウンドでは、モーラがメンテナンスする車両を金石勝智がドライブ。シーズン途中より改良版が投入され、着座位置が大きく後退するなどした。
1994年の仙台ハイランドラウンドでは、モーラがメンテナンスする車両を金石勝智がドライブ。シーズン途中より改良版が投入され、着座位置が大きく後退するなどした。
ランティスは、1995年よりファミリアが新規導入されながらも継続してエントリー。1996年の前半戦まで戦った(写真は1996年車)。
ランティスは、1995年よりファミリアが新規導入されながらも継続してエントリー。1996年の前半戦まで戦った(写真は1996年車)。


関連のニュース