レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

ラリー/WRC ニュース

投稿日: 2022.04.15 11:59

ラリーに挑んだレーサーその2、大事故から復活したロバート・クビサ【WRC Topic】

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


ラリー/WRC | ラリーに挑んだレーサーその2、大事故から復活したロバート・クビサ【WRC Topic】

 ラリーにチャレンジしたレーシングドライバーとしては、ロバート・クビサを忘れるわけにはいかない。キミ・ライコネンも一時期真剣にラリーに取り組んだが、クビサは彼以上にラリードライバーとして鍛練を重ねた。

 子供の頃からラリーが好きで、地元ポーランドのラリーを観戦しに行ったこともあるという。が、10才の時にレーシングカートで頭角を現し、イタリアに渡ってからはフォーミュラのエリートコースを邁進し、F1まで上りつめた。もっとも、マカオGPのF3では2回2位に入るなどストリートコースでの速さはフォーミュラ時代から光るものがあったが。

 フォーミュラドライバーとなっても、クビサはラリーへの思いを断ち切れず、2004年頃からポーランド国内のラリーに出るなどして密かに腕を磨いていた。2009年にはルノー・クリオR3でイタリアやフランスのラリー5戦に出場し、翌2010年にはIRC(インターコンチネンタルラリーチャレンジ)の1戦として開催された、ラリー・モンテカルロにも出場。彼は当時すでにF1ドライバーであり、モンテカルロ出場は大きな注目を集めた。

 ちなみに、その年はミッコ・ヒルボネンが完成したばかりのフォード・フィエスタS2000で出場し優勝。他にもセバスチャン・オジエやクリス・ミークらが出場していた。残念ながらクビサのクリオR3はエンジンにトラブルが発生し、初めてのモンテカルロはリタイアに終わった。

 しかし、クビサのラリーに対するモチベーションはモンテカルロ出場でさらに高まり、その年はラリーに10回も出場することに。そこで、ペースノート走行など、ラリーを戦う上で必要な基本技術を磨いていった。そのプロセスが、駆け足で一気にWRCまでステップアップしたライコネンとの大きな違いであり、クビサはペースノートを基にしたドライビングをほぼマスターしていた。

 ところが2011年2月、彼のキャリアを大きく左右するアクシデントが起きる。イタリアの国内ラリーにシュコダ・ファビアS2000で出場したクビサは、クルマの姿勢を乱しガードレールに激突。アンラッキーなことにガードレールが車内にめり込み、右腕と脚部に重傷を負ってしまったのだ。その結果、彼は長期の入院を強いられ、右腕の機能が大幅に低下したことでF1のシートを失うことになってしまった。

■次のページへ:WRC2のシリーズチャンピオンに

2010年IRC第1戦モンテカルロに参戦したロバート・クビサ
2010年IRC第1戦モンテカルロに参戦したロバート・クビサ
2010ラリー・モンテカルロでクビサがドライブしたルノー・クリオR3
2010ラリー・モンテカルロでクビサがドライブしたルノー・クリオR3
2013年シーズンはシトロエンDS3 RRCで年間5勝をマーク。WRC2チャンピオンとなった
2013年シーズンはシトロエンDS3 RRCで年間5勝をマーク。WRC2チャンピオンとなった


関連のニュース