2025年のWEC(FIA世界耐久選手権)は3戦が終了し、フェラーリ勢が開幕3連勝を達成。TOYOTA GAZOO Racingはといえば、8号車GR010ハイブリッドは5-5-4位、7号車は6-7-7位とここまでのところ表彰台に立てていない。それでもなお、TGR-E(トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)の中嶋一貴副会長はポジティブな姿勢を崩さず、厳しい戦いの中から多くの学びを得、チームとともに前に進んでいるという。

■イモラで足回りのセットアップを大幅見直し

「たしかに、結果だけを見れば非常に難しいシーズン序盤戦にはなっていると思います。ただ、必ずしも結果だけでは測れない部分はたくさんあると思っていますし、そういう意味では開幕戦カタールに関しては、チームとしては結果以上に大きく前進し手応えを得られたレースだったのではないかなと思います」

「次のイモラもいい線をいっていたのですが、チームとしてはちょっと反省点も残ったので、まだまだ改善の余地があるということを改めて教えてもらったようなレースでした」

 たしかにイモラでは接触やペナルティなどドライバーのミスも少なくなかったが、続くスパでは8号車が予選15番手から4位を獲得するなど、チーム力を駆使し、望外ともいえる好結果を掴み取った。

「今年のクルマに関しては、ホモロゲが変わってないので、ハードウェアとしては基本的には去年とほぼ一緒と言っても差し支えありません。ただ、去年は信頼性の問題が結果に影響を及ぼしたレースもいくつかあったので、その部分は重点的に対策をしています。あと、去年の経験を踏まえて大きく異なるセットアップを採用し、それが奏功するなど、クルマは同じであっても前進することができていると感じています」

 イモラでは足まわりのセットアップ方向を大幅に見直したことにより、縁石も使って走れるようになったという。

「足まわりを固めて車高をある程度安定させた方が空力的には効率がいい部分もありますし、去年はそれをやってみて決して悪くなかった。でも、今年はさらに良くしたいと、足を動かす方向を試してみたらいい方向に向かいました。クルマ自体は大きく変わらなくても、まだまだやれることはたくさんあるんだなと実感したレースでしたね」

TGR WEC inDepth(1)中嶋一貴副会長に聞く
多くの箇所がホモロゲーションにより改造が禁じられている現在のハイパーカー。そのなかにあって、セットアップ面ではさまざまなトライが続けられている。

 GR010ハイブリッドはハイパーカーの中でもっとも基本設計が古いクルマであり、設計が新しいライバル車のほうが伸び代は大きいことは明らか。しかし、それはハード面での話であり、制御を含むソフト面の改善によって、まだまだ競争力を高めることはできると一貴副会長は確信している。

「BoP(バランス・オブ・パフォーマンス:性能調整)がある中で、空力もエンジンのパワーもある一定以上は出せない規則になっています。ただ、例えばパワートレインの出力などは、定められているパワーカーブのとおりに100%使えているチームはまだどこもないと思っています。なので、どうしてもロスが出てしまう部分をいかにロスがないように使うかや、ルールの範囲内でどういう風にそのパワーを使うのが最も効率がいいのかなど、制御の側でできることはまだまだたくさんあると感じているので、今はその部分に重点的に取り組んでいます」

 このソフト面に加えて、TGR-Eは限られた条件の中でクルマそのものの性能だけでなく、チーム力をより高めるべく、積極的に新しい技術にもトライしている。

「最近はAI をうまく使い、データの分析を行っています。ライバルの戦略を分析したりとか、いろんなところに使おうというアプローチをとっています。レースの現場でもそうですし、レースを戦っている裏側でもファクトリーで並行して分析を行い、サポートしたりしています。耐久レースは扱うデータの量が膨大ですが、そこに無尽蔵に人を割くことはできないので、AIを使ってできるだけ効率的にやろうと。そういった新しい取り組みもしています」

 今、もっとも革新スピードが速い技術領域といわれるAI。その力を最大限に活用することが、今後レースの世界でもアドバンテージを得ることにつながり、それが市販車開発にとってもプラスに働く。

「市販車も含めクルマが電動化していく中で、モーターや、バッテリーなどいろんなコンポーネントを使う制御という部分は、我々がWECで培ってきた技術や知見をかなりダイレクトに活かせる領域です」

「とくに、電動化しつつも走っていて楽しいクルマを作ろうとすると我々の知見をダイレクト活かせるのではないかという手応えを最近感じています。今、WECはBoPがあることで、ハードをあまり触れないからこそ、ソフト面で違いを作れるチャンスでもあります。だから、そういったところでの技術開発というのは、もしかするとハード以上にWEC以外のモータースポーツや、市販車の開発に還元できることが多くあるような気がしています」

TGR WEC inDepth(1)中嶋一貴副会長に聞く
TGR-Eの会議室でインタビューに応える一貴副会長。現役時代には2018、2019、2020年と3度ル・マン24時間レースを制している。

■ドライバーの実力が高まることが、いいクルマづくりへとつながる

 TGRは『ピープル』『パイプライン』『プロダクト』の三要素を鍛えるためにモータースポーツに参戦していると言い切る。

 そのうち、『パイプライン』(TGRのモータースポーツ活動におけるデータ、ソフトや輸送などのインフラ、それぞれを繋げる一連の流れ)は今まさにWECで実践しているファクターであり、『プロダクト』については、BoPという縛りがあることによって先鋭化された、ソフト面の開発から得られたノウハウが、今後世に出るであろう市販車にも活かされることになるだろう。

 では、『ピープル』はどうか? 高度な技術競争によりエンジニアの技術レベルが大きく向上していることに加え、ドライバーの実力が世界レベルに高まることも、いいクルマづくりにつながると一貴副会長は述べる。

「日本のスーパー耐久では、多くのTGRドライバーが出場し、もっといいクルマづくりにも寄与しています。そのような状況で、WECを戦うドライバーたちもGT3の開発に貢献できていると思っています」

「GT3の活動は耐久レースが中心ですし、純粋に競技の部分でも開発の部分でもWECで戦ってきたドライバーの経験値というのは、非常に有効だと思います。GT3というのは市販車にもダイレクトにつながるカテゴリーなので、WECのドライバーが開発に貢献できることは多いと思います」

 F1経験者も多く集うWECのドライバーレベルは非常に高く、日本人選手にとってはドライビングとセットアップ能力の両面を磨く絶好の機会である。さらに、トヨタは2023年から契約ドライバーにF1ドライブのチャンスをアテンドするプロジェクトにも乗り出し、現在は平川亮がハースF1チームでリザーブドライバーを務めるなど、WECとダブルで世界選手権に携わっている。

「自分と(小林)可夢偉もそうでしたが、F1で走らせてもらえたからこそ得られた経験や、人とのつながりがあります。それを今、トヨタに対して少しでも恩返しさせていただいているような状況ですが、そういったことが自分たちの代で終わってしまっては意味がない。自分たちがやってきたようなことを次の世代につなげ、繰り返して行くことが大事だと思うので、そのためのドライバー育成という側面も非常に大きいと思います」

「そして何よりも、若いドライバーが(F1でも)活躍できるチャンスがあるということを、さらに若い世代の子どもたちが見て、自分たちも世界を目指せるんだと思ってもらえることが、すごく大事なのではないかと思います」

TGR WEC inDepth(1)中嶋一貴副会長に聞く
WECのプログラムを中心に欧州で活動することにより、F1チームでもすぐに重宝されるスキルを身につけた平川亮。

 マクラーレン、アルピーヌ、ハースとF1チームを渡り歩きながら、高い評価を得てきた平川は、まさに一貴副会長、可夢偉チーム代表を次ぐべき存在である。その平川を、一貴副会長は非常に高く評価している。

「年齢はそれほど若くないですが(笑)、ヨーロッパに来てからいろいろな面ですごく大きく成長したなあと実感しています。もちろんドライビングもそうですが、英語が堪能になって語彙が豊富になり、コミュニケーションやテストでのフィードバックがすごく上達しました」

「WECだけでなく、マクラーレンなどF1チームで経験を積んだことで、いろいろなドライバーたちのコメントの仕方や伝え方を学び、それを吸収して自分のものにしています。自分もハースでのテストに立ち合ったことがあるのですが、1ラン終わった後の平川の落ち着き具合、言葉の的確さ、クルマの問題点の指摘、そして自分が何を求めているのかを伝える能力など『オオッ』と思いました。ちょっと感動しましたね」

 もちろん、平川が続けてきた多大な努力や元来のセンスがあってのものだろうが、それでもWEC、そしてF1を経験したことがドライバーとしてのレベルを大きく底上げしたのだろう。

「平川はああ見えて面白いし、コミュニケーション力も非常に高い。それは彼のすごくいい部分だと思いますし、なんかどんどん“外国人”になりつつあると思います。もちろんいい意味で(笑)。ドライビングについても、日本グランプリのFP1やWECイモラの予選ではすごくいい走りをしたし、いろんなことを吸収してまだまだ伸びている。天井がまだ見えていないように思いますね」

 その平川も擁して戦う今年のル・マン24時間、一貴副会長は「何がなんでも勝つ」ことが目標だと語る。

「去年も一昨年も、チームとしてはすごくいい戦いはできていたと思いますし、やれることはほぼほぼ全部やったとも思います。でも、それだけでは満足できないし、してもならない。自分たちの一番の強みは総合力。今年が展開、天気も含めてどうなるかわかりませんが、どんな状況でも最善の判断を積み重ねていくことしかできない。そして最後に運を引き寄せるのは気持ちしかないと思うので、もう何が何でも勝つ、その気持ちだけを今年は全面に押し出して戦います」

 静かなる闘将、中嶋一貴。その情熱は役割がドライバーからTGR-E副会長とシフトしても、何も変わらない。むしろ、内なる闘争心はドライバー時代以上に燃え盛っているようにさえ感じる。

TGR WEC inDepth(1)中嶋一貴副会長に聞く
取材時、WECスパでのLMGT3デビューに向け、TGR-Eのシミュレーターセッションに臨んでいた中山雄一を気遣う一貴副会長。幅広く、TGR所属ドライバーの活動をサポートしている。

本日のレースクイーン

髙木ゆきたかぎゆき
2025年 / スーパーGT
aprVictoria
  • auto sport ch by autosport web

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

  • auto sport

    auto sport 2025年7月号 No.1609

    【特集】LE MANS 2025
    “史上最混戦”の俊足耐久プロト頂上決定戦

  • asweb shop

    STANLEY TEAM KUNIMITSUグッズに御朱印帳が登場!
    細かい繊細な織りで表現された豪華な仕上げ

    3,000円