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ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2020.03.21 23:32
更新日: 2020.03.21 23:36

名門シュニッツァーは新世代へ。新代表のヘルベルト・ジュニアに聞く「次世代を築き上げていきたい」

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ル・マン/WEC | 名門シュニッツァーは新世代へ。新代表のヘルベルト・ジュニアに聞く「次世代を築き上げていきたい」

 2018年末、マカオでのFIA GTワールドカップを最後にモータースポーツ活動からの勇退を発表し、婦人とおだやかな余生を歩み始めた矢先、2019年1月24日に急逝したシュニッツァー・モータースポーツ元代表のチャーリー・ラム。シュニッツァーの歴史を築いてきたラムの突然の死はシュニッツァーに大きな衝撃を与えたが、その後を継ぎ、名門を支えているのが、チーム創立者のひとりであるヘルベルト・シュニッツァー・ジュニアの息子であるヘルベルト・ジュニアだ。そんな彼に、チーム代表となっての激動の1年と今後を聞いた。

■シュニッツァーの新たな時代へ

──残念ながら日本のファンには、まだそれほど知名度はないと思いますので、まずあなたの略歴を教えてください。
ヘルベルト・シュニッツァー・ジュニア(以下HS):
シュニッツァー・モータースポーツの創立者のひとりである、ヘルベルト・シュニッツァー・シニアの長男だ。ミュンヘン工科大学の機械工学部を卒業し、ディプロム・エンジニア(技術系の高等専門教育機関を修了)となり、他社でデータエンジニアとして働いていたんだ。しかし、2012年にBMWがDTMに復帰する際にちょうど人員不足で、父や叔父に『うちにはエンジニアがいるじゃないか』と、安上りという理由で家に戻されたんだよ(笑)。DTMではシステムエンジニアとなり、エレクトロニカー(ヨーロッパのレースで従事する電気系統を専門とするメカニック)の責任者になると同時に、パフォーマンス・エンジニアが仕事をしやすいように車両データをジェネレートする役割だったんだ。

──あなたが代表となった新生シュニッツァーですが、1年を振り返っていかがでしたか?
HS:
大きな挑戦となった1年だったよ。叔父のチャーリーが勇退する時には、『いつでもサポートするよ』と言ってくれていたのだけれど、その矢先に突然亡くなってしまったのは大きな衝撃で、深い悲しみだった。しかし、チームメンバーが僕を支えてくれて、さらにチームの絆が深まったと思う。僕の父にとってはさらに辛かった1年だったと思うよ。一緒にシュニッツァーを立ち上げ、築き上げたヨーゼフ、ディータ、チャーリーという兄弟すべてを亡くしてしまい、ひとりぼっちとなってしまったからね。僕自身は一昨年まではチームエンジニアのひとりだったから、昨年からチーム経営や運営という面では学びの年だった。

──前の代表であるチャーリー・ラムと比較し、『シュニッツァーはあの頃と変わった』『ヘルベルト・ジュニアはチャーリーに及ばない』など、心ない言葉を浴びせる人々もおり、偉大な叔父の後継者としてのプレッシャーがあったと思いましたが、あなた自身はどう乗り切ったのでしょうか?
HS:
とにかくシュニッツァーが誇るトップレベルを保つべく、僕は与えられたポジションと仕事に集中したんだ。だから外野の声には耳を傾ける暇がなかったのが幸いだったね(笑)。叔父からは、彼の時代を自身で築いたように、『僕は僕の時代を』とバトンを渡してもらった。シュニッツァーとしてのチームフィロソフィーは継承しながら、叔父が築いたシュニッツァーの名を汚さぬよう、次世代を少しずつ築き上げていきたいと思っている。

2019年の鈴鹿10時間でポールポジションを獲得したBMWチーム・シュニッツァーのBMW M6 GT3
2019年の鈴鹿10時間でポールポジションを獲得したBMWチーム・シュニッツァーのBMW M6 GT3
ワークショップにはシュニッツァーの歴代の名車たちとともに、トロフィーが並ぶ
ワークショップにはシュニッツァーの歴代の名車たちとともに、トロフィーが並ぶ

■“噂以上”だった日本のファン


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