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ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2020.06.03 17:00
更新日: 2020.06.03 17:01

柿元邦彦氏が語るニッサンR390のル・マン挑戦。そしてレーシングカー開発と生産車開発の違い

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ル・マン/WEC | 柿元邦彦氏が語るニッサンR390のル・マン挑戦。そしてレーシングカー開発と生産車開発の違い

 6月5日に発売されるauto sport本誌No.1531号の特集『ル・マン24時間 名車とテクノロジーの50年史』から、柿元邦彦氏のコラムをお送りする。

 柿元氏は日産自動車入社後ラリー/レース仕様エンジンや車両開発に従事。1997~1998年にはル・マン24時間レースに参戦したニッサン・チームの監督を務め、その後、2004~2015年にニッサン系チームの総監督を務めた。コラムでは1997年と1998年のル・マンに投入したR390の開発、2020年シーズンに向けたGT500開発を例に、レーシングカー開発技術と生産車開発技術の共通点、相違点を解説してくれた。
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■生産車開発部隊がギヤ対策を担当

 ニッサンのル・マン24時間レース(以下ル・マン)挑戦は、1998年の星野一義、鈴木亜久里、影山正彦によるニッサンR390GT1の総合3位が最上位である。日本人ドライバーだけで勝ち取った初の総合3位という意味で当時としては輝かしい結果であり、特筆すべきは参戦車4台が全車完走してトップ10に入賞したことにある。R390GT1の参戦初年度の1997年はギヤボックスが次から次に壊れ、3台のうち1台を完走させるのがやっとだったのに比べて大きな進歩である。

 マニュアルシフト時代のル・マンにおける最大の課題は、人為的に行われるシフトチェンジに起因するギヤボックスの不具合というのが常識だった。我々の計算でも上位入賞する走行ラップ数ではシフトの回数が2.8万回に達した。それを克服して1台も壊れず上位に入った訳である。

 1997年は5月の予備予選で新車のR390が最速ラップを出したがゆえに、予備予選の車検では問題なかった規則の解釈が変更になり、我々のギヤボックスはシフト回数だけでなくオーバーヒートや細かいトラブルで苦しんだ。

 そこでレース直後から、壊れないギヤボックスを目標に日産の生産車開発部隊が中心になって、ギヤの素材変更、歯幅厚肉化、シフト関連の構造変更、ギヤボックス全体の剛性アップ、冷却系の改善などなど徹底的な見直しが行われた。不具合対策の確認のために、連続24時間プラスの台上テストや実車風洞テストも実施した。

 諸対策の結果、絶対壊れないギヤボックスが完成して総合3位と全車トップ10入りが達成できた。これは過酷なル・マンであるがゆえに誇るべき結果ではある。

 しかし、ギヤボックスへの諸対策の結果、かなり重量が増したのは事実で、速さをスポイルしたのは否定できない。こうした要因もあり総合優勝には届かなかった。クルマを開発するという点では共通しながら、ここに生産車とレーシングカー開発の違いが端的に現れている。

 生産車はおなじ仕様のクルマを開発し、何万台と製造・販売して、様々な人たちが様々な気象条件下(豪雨、灼熱、寒冷など)で、どんな自由な使い方をしても不具合を出してはならない。例えば1万台のうち1台でも安全問題を起こしたら全車リコールしなければならない。

 またライバルとの競争条件で販売価格は大変重要で、顧客を魅了する仕様であっても販売価格がそれに見合わなくては買ってもらえない。従ってコストが重視される。この不具合を出さない、コスト重視は生産車開発の文化である。

 一方でレーシングカーは少量生産であり、部品も単品製造で良い。もちろん不具合が出ては困るが、最低限規則で定められた時間や距離を走り切れれば問題ない。かつ専門家がメンテナンスして専門家の運転で、その時々の気象条件に合う仕様も選択できる。また速さはすべてに優先するので予算に対する制約も少ない。これらを踏まえて、速さに特化した開発を行うのがレーシングカー開発の文化である。

監督として現場に赴いた柿元邦彦氏。右は1997年予備予選で最速ラップを出したマーティン・ブランドル
監督として現場に赴いた柿元邦彦氏。右は1997年予備予選で最速ラップを出したマーティン・ブランドル

■双方向の技術交流を実現する


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