スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回はアメリカ、ロード・アトランタで開催された2006年ALMSアメリカン・ル・マン・シリーズの第9戦プチ・ル・マンの前編。サムは、サポートイベントとして開催されたIMSAライツにドライバーとして参戦するため、この年に初めてアメリカに降り立ちました。
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初めてのアメリカ旅行は、あまりいい思い出ではない。2006年、私はドライバーとしての新たな挑戦を模索すると同時に、ジャーナリストとして仕事をしていた。
数年にわたって私はイギリスとヨーロッパでシングルシーターとツーリングカーのレースに出場し、ラリーにも何度か出場していた。だが、当時アメリカのサーキットやレースはヨーロッパのものよりはるかに面白そうに見えた。
そして、私はなんとかパノスを説得して、彼らが走らせるワークスマシンの1台でIMSAライツ・シリーズに出場させてもらえることになった。このIMSAライツは2006年に開幕したシリーズで、アメリカン・ル・マン・シリーズのサポートレースを務めていた。
私はロード・アトランタでプチ・ル・マンのサポートレースとして行われるIMSAライツの第4戦に出場することになっていた。また、もし順調に事が進んでいたら、私はパノスから2007年のIMSAライツにフル参戦するつもりだった。
初めてアメリカを訪れるときに、プチ・ル・マンというイベントに参加できることは素晴らしく思えた。特に2006年のALMSは競争の激しいシーズンで、アウディR10 TDIとポルシェの新型LMP2マシン、RSスパイダーが目を見張るような戦いを繰り広げていた。
このトップクラスではローラ、ザイテック、クリエーションからなるコンストラクターたちも、資金が豊富なアウディ、ポルシェと戦っていたが、残念ながらあまりチャンスを掴むことはできていなかった。
またGTクラスの戦いも興味深いものだった。アストンマーティンとコルベットはGT1クラスで争っており、GT2クラスではポルシェとフェラーリが戦いを繰り広げていた。パノスとBMWもGTクラスに出場していたが、残念ながら彼らには十分な競争力がなかった。
ただ、この時私が注目していたのは当然アメリカン・ル・マン・シリーズではない。自分が戦う予定だったIMSAライツに意識を集中させていたから当然だろう。IMSAライツは誕生したばかりのシリーズということもあり、レギュレーションも非常にオープンだった。
IMSAライツには3つのクラスがあり、上位クラスのライツ1はマツダの2.3リッターエンジンを搭載したパノス・エランDP02のみで争われていた。カーボンファイバー製シャシーはフォーミュラ・スター・マツダと同じものが使われており、コクピットはモノコックの中央に位置していた。ラップペースはLMP2マシンと比べても、そん色ないものだった。