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ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2020.10.01 15:45
更新日: 2020.10.01 15:48

「過去一番疲れた」と中嶋一貴。超過密日程のル・マン“4日間”、トヨタ同門対決の舞台裏

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ル・マン/WEC | 「過去一番疲れた」と中嶋一貴。超過密日程のル・マン“4日間”、トヨタ同門対決の舞台裏

 トヨタGAZOO Racingの7号車TS050ハイブリッド(マイク・コンウェイ/小林可夢偉/ホセ・マリア・ロペス)は悲願の初優勝を、8号車(セバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/ブレンドン・ハートレー)は3連覇を懸けて臨んだ2020年のル・マン24時間レース。

 通常よりも短縮されたレースウイークの日程は事前から「走り出しが勝負」と目されていた。木曜朝に始まり、日曜午後に終わりを迎えた、トヨタ2台の波乱万丈な4日間に迫る。

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 午前2時41分。コクピットの中で瞑目する小林可夢偉の姿がライブ映像に映し出された。

 暗闇に包まれたサーキットから、煌々たるガレージの中へ。眩しかったのかもしれない。しかし、両肩のベルトを緩めた可夢偉はもう一度強く目を瞑るとうなだれ、力なく首を左右に振った。すぐにリヤカウルが外され、トップを走り続けてきた7号車は、それからガレージで約30分間を過ごすことになり、可夢偉の「夢」はまたしても雲散霧消した。

 レースを前に、今年のル・マン24 時間への思いは、例年以上に強く感じられた。

 トヨタのドライバーとして挑んだ過去4年間、勝つチャンスは何度もあった。だがポディウムの頂は遠く、一段上に立つライバル、あるいは僚友を三度見上げてきた。「今年こそ」と何度も気持ちを奮い立たせ、辛抱強くサルトの女神を振り向かせようとしたが、そのたびに残酷な仕打ちを受け、重いトロフィーを掲げる機会は巡ってこなかった。

 それだけに、トヨタTS050 HYBRID最後のル・マンとなる今年は、可夢偉にとって絶対に落とすことができない一戦だった。

「ル・マンに入ってからも食事はすべてケータリングで、すごくストレスがたまっています。感染したらイヤなんでジムとかもいっさい行かず、身体も動かしていない。それをしてコンマ1秒稼げるとは思わないし、出られないという最悪の状況を回避したくて」

 徹底的なリスクマネジメント。ル・マンを「落とす」要因となり得るものは、すべて排除してきた。無観客のル・マン、爽秋のル・マン。未知なる戦いに臨む可夢偉は、ひたすらストイックに自分自身を律し続けた。

「ル・マンへの移動で誕生日が潰れ、お祝いなんて何もしていなくて。勝ってから自分でお祝いしたいですね。いい誕生日になるかは自分次第。9月のル・マンを、意味のあるものにしたいなと思っています」

 コロナ禍により開催時期が9月に移っただけでなく、前々週のテストデーも省かれた。走り出しは木曜日という、異常ともいえる圧縮スケジュール。例年ならばテストデーでクルマの仕上がりを確認し、セッティングを見直す余裕もあった。そして水曜日からの走行セッションで、路面がクリーンになり、グリップが高まっていくなかでクルマを合わせ込み、夜の予選1回目を迎える。

 しかし今年は木曜日に2本のFPを行ない、夕方から予選。さらに24時まで4時間のFP3が行なわれた。金曜日は朝からFP4、そしてハイパーポールと続く強行スケジュール。それだけに、持ち込みのセットアップが例年以上に重要となるが、7号車の走り始めはあまり良くなかった。FP1、2とも8号車がトップタイムを記録し、FP2では1秒近い差がついた。

 だが、そのような状況でも可夢偉はポールポジションを狙う走りを続けた。

「パッと乗ったとき、常に全力でアタックし、しっかりミスなく走るという練習をしていました。今回は、TS050でアタックできる最後のチャンスだったので」と可夢偉。EoTにより重量は昨年よりも7㎏増やされ、シミュレーションでのタイムは3分16秒台と、自身が持つ17年のコースレコード3分14秒791に遠くおよばず、更新は難しい状況だった。

 それでも可夢偉は、過去の自分に勝つべく、予選上位の戦いであるハイパーポールに全力で挑んだ。1回目のアタックは3分15秒267。トラフィックを避けるため、ピットエンドで3分程度待ったことでタイヤの温度が下がってしまったが、レコード更新の光は見えた。

 そしてTS050での最後の予選となったアタック2回目、セクター2までで0・6秒以上速く、14秒台は確実かと思われた。しかし、テルトル・ルージュでトラックリミットを越えたことを無線で伝えられた可夢偉は、アタックを止め、ピットに戻った。

「正直、残念です。クルマにはパフォーマンスがあったし、可能性もあったので。それをタイムで残せなかったのは、ちょっと申し訳なかった……」

 可夢偉の失望は、予選3番手に終わった中嶋一貴に比べれば、まだ小さかったといえる。

 18年のポールシッター、一貴もまたTS050最後のアタックにかけていた。それだけに、ポールを逃しただけでなく、レベリオンにも先行を許した事実は、誇り高き二度のル・マンウイナーにとって受け入れ難いことだったに違いない。トヨタの村田久武チーム代表によれば、予選後一貴は「すごく悔しがり、マネージャーが慰めていた」ほどだったという。

 過去のル・マンにおいては、予選はそれほど重要ではないというスタンスを、一貴も可夢偉も表面的には示してきた。もちろん、心の中では「サルト最速」でありたいと思ってきたはずだが、今年ほどその気持ちを包み隠さなかったことは、なかったのではないか。それくらい、ふたりはTS050最後のル・マンに、特別な思いを込めて臨んでいたのだ。

 しかし、その時点で彼らの疲労はかなり色濃かった。

「正直、結構疲れましたね。昨日の朝から今日までに、もう1レース終えたくらいに。クルマを降りているときもエンジニアと話したりとか、自分のスイッチを切ることができないので。明日までに1回スイッチを切り、身体を休めてレースに臨めるようにしなければ」とハイパーポール後の一貴。

 可夢偉もまた「5時間しか寝ていません。走り終わって午前2時にミーティングが終了したのに、朝8時に集合なので。もう1.5㎏痩せましたよ。今年のスケジュールはかなりハードです」と、過密スケジュールを嘆いた。

 それでも、クルマの調子が上向いてきたこともあり「ちょっとずつ良くなっていって、いま8号車にプレッシャーを与えている状態です。何もなければ勝てる自信は正直あります」と表情は明るかった。

 そして最後に、ひとことつけ加えた。「でも、何かが起こるのがル・マン」と。

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