車いすドライバー、青木拓磨の長年の夢が実現した。彼は1998年2月5日、2輪のテスト中の事故による脊髄損傷以来、車いす生活を余儀なくされている。事故後、青木が考えたことのひとつは、「2輪ができなければ4輪。できれば世界一のレースであるル・マン24時間レースに出たい」というモノだった。
それから23年、ついにその夢を実現する時がきた。きっかけとなったのがフレデリック・ソーセとの出会いである。
人喰いバクテリアによって四肢切断という障がいを負ったソーセは、2016年のル・マン24時間レースの特別出走枠で参戦の経験を持つが、そのプロジェクトの第2弾としてこの障がいをもったドライバーを集め、ル・マンに挑戦するというのが、ソーセが立ち上げたチームSRT41である。
これに青木は合流し、他のメンバーとともに3か年計画でル・マンを目指してきた。ソーセ・レーシングチームがフランスのロワール=エ=シェール県ブロアが所在地となったことから、その県番号「41」を取りSRT41という名称となっている。
■LMP2マシン採用で増したフィジカルへの負荷
2018年には、フランス国内で行われる耐久レース『VdeV(ベドゥベ)耐久選手権』に参戦(5戦中3度の表彰台を獲得)。2019年シーズンはステップアップし欧州で開催されている『UltimateCUP(ウルティメイトカップ)』シリーズに参戦し、ル・マン24時間レースへの参戦を目指すチームが挑戦するステップアップ・カテゴリーのレースである『ロード・トゥ・ルマン(RTLM)』にも参戦。このRTLMでは、レース1は36位、レース2は39位で完走している。
ここまではLMP3のリジェJS P3を使用していたが、このル・マン本戦に出場するにはLMP2マシンでなければならないことから、SRT41はGRAFF(グラフ)とのタッグを組んでこの参戦を進めてきた。
本来の計画である2020年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、事前のLMP2マシンへの慣れやチームとの準備ができないことから参戦を断念。2021年の同大会への参戦に計画を変更し、今季はELMSヨーロピアン・ルマン・シリーズにスポット参戦をし、この本戦のための準備をしてきた。
このプロジェクトには3年前から、青木拓磨以外に、フランス人のスヌーシー・ベン・ムーサ(左腕切断)、ベルギー人のナイジェル・ベイリー(下半身不随)という3人のドライバーが合流しのメンバーでル・マンを目指してきた。
だがスヌーシーはRTLM参戦後にチームから離脱したため、チームは健常者ドライバーをひとり立てることとなった。このドライバー枠には、事前のELMSにはピエール・サンシネナが参戦(当初はル・マン戦のリザーブドライバーとして登録を考えていたのだが、本戦未出場のドライバーの登録は出来なかったためこれを断念)、そして本戦にはフランソワ・エリオを予定していたものの、直前に事故を起こして参戦ができなくなり、リザーブドライバー登録していたマチュー・ライエがこの本戦に参戦することとなった。
SRT41はオレカ07・ギブソンをベースにハンドドライブ仕様の車両を使用することで、以前は“ガレージ56”と呼ばれていた“イノベーティブカー・クラス”への参戦となっている。
通常両手両足で操作することを、上腕2本で操作することになる。具体的にはステアリングのパドル操作で、アクセル、シフトアップ、クラッチの操作をする。ブレーキ操作およびシフトダウンはシート右側に設けられたレバーを使用。ただ、上腕での操作では足の踏力ほど力を発揮できないため、ブレーキを強く掛けられないというハンドドライブ機構の煮詰めが足りないところもある。
このフィジカル的にもきついLMP2マシン、そして特有のブレーキ操作に対応するため、青木とベイリーはともに身体を作ってきていた。体重を落とし、さらに上腕を鍛えており、両名ともにがっしりとした印象に変わっていた。狭いLMP2のコクピットでの操作のため、できれば身体を大きくしないようにしたいところだが……。なお、この手動装置のため車両重量増は約20㎏にも及ぶ。
車両横まで車いすで移動してドライバー交替を行うことから、ドライバー交替はピット内での作業が義務付けられた。そのためLMP2マシンをベースとしているもののほかのLMP2マシンよりも多くピット時間を割かなければならないといったハンデも生じていた。