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投稿日: 2017.08.16 18:42
更新日: 2017.08.16 18:43

国内トップフォーミュラ名レース3選第2回:2006年/ツインリンクもてぎ20周年企画

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スーパーフォーミュラ | 国内トップフォーミュラ名レース3選第2回:2006年/ツインリンクもてぎ20周年企画

 今年で開場20周年のツインリンクもてぎでは、トップフォーミュラの名勝負やメモリアルレースが数多く演じられてきた。その歴史のなかから厳選3レースを紹介する短期連載、第2回は2006年10月のフォーミュラ・ニッポン第8戦、ブノワ・トレルイエ涙の初戴冠レースである。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 フォーミュラ・ニッポン(FN)はこの2006年にワンメイクシャシーが先代のローラB351からローラFN06に切りかわり、エンジン面ではトヨタ対ホンダの戦いが新たに始まった(当時は3000cc V8自然吸気。タイヤはブリヂストンのワンメイク)。そんな激動のシーズン、主導権を握って戦いを進めたのは当時4台体制の“日本一速いチーム”、星野一義監督のインパル(エンジンはトヨタ)だ。

 本山哲、星野一樹、ブノワ・トレルイエ、松田次生というのが2006年の“インパル カルテット”。新人の星野以外は、4冠王の本山を筆頭に移籍新加入の松田を含めて3人とも優勝経験者、いずれもチャンピオン候補といえるくらいの豪華メンバーだったが、なかでも好調なシーズンを過ごすことになったのがトレルイエである。

2006年のフォーミュラ・ニッポン参戦ドライバーたち
2006年のフォーミュラ・ニッポン参戦ドライバーたち

 トレルイエは、荒天でセーフティカーランのみの決着となった開幕戦富士でハーフポイントながら先勝を果たすと、9戦中7戦目までに3勝を含む表彰台6回という高い安定感を発揮してシリーズ首位を快走した。

 第8戦もてぎを迎える段階で、トレルイエの初戴冠を阻める可能性を残していたのは16点差の僚友松田と20点差のロイック・デュバル(ナカジマレーシング)のふたりのみ。決勝1〜6位に10-6-4-3-2-1点の時代なので松田とデュバルはかなり厳しい状況であり、トレルイエ初戴冠が濃厚になっていた。

 順当なら王座決定となりそうな第9戦もてぎ、トレルイエは予選で2番手につけた。ポールポジションは、当時ARTA所属で韋駄天ぶりを存分に発揮していた小暮卓史が獲得(シーズン5度目)。ただ、この年の小暮は決勝結果につながらないレースが続いていたため、王座決定を目指すトレルイエにとってまずは順調な出足といってよかっただろう。

 そして決勝はサバイバルレースの様相を見せることに。小暮はブレーキトラブルを発症するなどして今回も結果を残せない展開に沈む。参戦22台中、最終的には小暮を含む10台がリタイアし、完走した12台のうち実際にチェッカーを受けたのは10台のみという過酷なレースになっていく(ちなみに当時の決勝レース距離は現在の主流である250kmより50km長く、F1同等の約300kmだった)。

 その決勝レースではやはりインパルが最終的に支配権を確立し、本山、トレルイエ、松田のトップ3に。このままいけばトレルイエの王座は決まる。一方、このシーズンは本山にとって流れが良くなく、彼はここまで未勝利だったが、ついにシーズン初勝利達成となりそうな雰囲気が漂ってきていた。しかし、ツキがない年というのはどこまでもそういうものなのか、本山は終盤にエンジンブローに見舞われてリタイア。トレルイエは勝って初戴冠を決めることになったのであった。


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