2016年、最高の思い出は最終戦アブダビ――選手権リーダーだったチームメイト、アントニオ・ジョビナッツィとの7ポイント差を覆し、GP2タイトルを獲得した。
「タイトルを獲得したときには心から感動した。本当に努力をした結果だったから、胸には抑え切れないくらいの感情が沸き上がって……僕はGP2史上、ニコ・ロズベルグに次いで2番目に若いチャンピオンになったんだ。そのニコがF1でもチャンピオンに輝いた。アブダビには家族も応援に来てくれていたし、2016年でいちばんの、最高の週末になったよ」
GP2タイトルの目標を達成する自信はあった。でも、本当に強い心を持ち続けることが必要なシーズンだったと、ピエール・ガスリ―は繰り返した。
新たにGP2に参戦したプレマ・レーシングと一緒にマシンを仕上げ、ジョビナッツィとも優れたチームワークを実現し、コンスタントに速さを発揮したシーズン。バクーのレース1のようにスタート直後の混乱に巻き込まれることもあったが、それはレースでは起こり得ること。レース2では18位グリッドから挽回して2位でゴールした。レッドブルリンクでは首位走行中に濡れた路面の罠とグラベルに捕らわれた。それでもレース2では20位スタートから7位までポジションを上げた。わずか2ポイントはあまりに小さな“収穫”ではあったけれど、自らへのフラストレーションは教訓として役立てることが可能なものだった。
それ以上に精神力が要求されたのは、コース上でもコース外でも、自分にはどうすることもできない「問題」や「壁」をあまりにも多く経験したからだ。
GP2初優勝を飾ったシルバーストン。ガスリ―は、その勝利を「病院にいる母に捧げたい」と言った。シルバーストンまで10kmほどの場所で、両親と一緒に同乗していたクルマが大事故に巻き込まれたのはイギリスGPの金曜朝のことだ。
「フリー走行の2時間ほど前だった。僕も椎骨のひとつを骨折したけれど、母の怪我は大きくて、3週間は集中治療室から出られないほどだった。彼女は椎骨を2カ所、肋骨を2カ所、膝や目の下の頬の部分も骨折して、肺にも問題を抱えていたから、大きな手術が必要だった。簡単なことではなかったよ。2カ月半入院して、今はリハビリに励んでいるけれど、背中には金属のプレートが入っているし痛みは消えていない。回復するまでにはまだ長い時間が必要なんだ」