2018年に向けて、多くのトピックスがあるスーパーGT。なかでもファンにとって注目度が高いのは、2009年のF1ワールドチャンピオンであるジェンソン・バトンの参戦ではないだろうか。2018年、バトンはRAYBRIG NSX-GTをドライブし、山本尚貴とコンビを組む。”F1王者の相棒”に指名された山本は、いまどんな気持ちでいるのだろうか……!? 彼に直接話を聞いた。
山本はレーシングカートで多くの実績を残した後、2007年に四輪デビュー。2009年に全日本F3選手権のNクラスチャンピオンを獲得し、2010年にフォーミュラ・ニッポン(当時)とスーパーGT GT500クラスにデビューした。
2013年にはスーパーフォーミュラでチャンピオンを獲得し、14年にはウイダー モデューロ NSX CONCEPT-GTを駆り、14年規定車での初勝利をもたらすなど、ホンダ陣営のエース格として活躍してきた山本だが、今季はF1ワールドチャンピオンをチームメイトに迎える。また、2月には2016年に結婚した恵里さんとの間に、双子の女児が誕生。2018年は大きく環境が変わる一年となるのだ。
いま彼は何を思い、どんな気持ちで2018年シーズンに備えるのか……。知りたかった質問をぶつけてみると、真面目で誰からも愛される、山本らしいインタビューとなった。
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──まずは赤ちゃん誕生おめでとうございます。ブログを拝見しましたが、まさかの双子とは。
山本尚貴(以下NY):そっちの話題から来ますか(笑)。ありがとうございます! 最初、妻の妊娠が分かったときは(お腹のなかに)ひとりしか確認できなかったのですが、数ヶ月経って双子だと分かって。でも、無事に生まれるかどうかというリスクや、妻への負担も考えて、まわりの方に公表はしていなかったんです。でも無事に生まれて良かったですし、妻も無事で本当に何よりでした。
──双子の女の子なんですか?
NY:そうなんです。
──聞くところによれば、赤ちゃんが生まれたのは2月のスーパーGTセパンテストの直前だったとか。
NY:はい。生まれたのが走行2日前だったんです。本来は日本からマレーシアへ向かう移動日だったのですが、朝のフライトを深夜便に変更させていただいて、一日ずっと手続きをしたり面倒をみたりと、付き添うことができました。
──ホンダの佐伯昌浩GTプロジェクトリーダーからも付き添うように言われたそうですね。
NY:そうなんです。相談をさせてもらったら「こういう機会は滅多にないし、そばにいられるならいてあげなさい」と言われました。本当にありがたかったですし、出産で自分が何かをできたわけではないですけど、こうして立ち会えたことでいろいろな思い、感情の芽生えを肌で感じることができました。それからセパンに飛び立ちましたが、こういう機会を作っていただいたので、仕事に集中して、より頑張ることができました。
──ではレースの話になりますが、2017年シーズンを振り返ってみていかがですか?
NY:うまくいったこともありましたし、結果に結びつけられないこともあったシーズンだったと思います。ポテンシャルとしてはもう少し成績が望めた部分もありましたが、それが結果にならなかったのはその時の実力だったのかな、と真摯に受け止めています。
──そして迎える2018年ですが、チームメイトがジェンソン・バトン選手であることを聞かされたのはいつ頃ですか?
NY:聞かされたのは秋くらいですね。その頃から打診がありました。ただ正式に聞いたのは、年末のセパンテストの前です。
──F1ワールドチャンピオンをチームメイトに迎えます。決定したときの率直な感想は。
NY:バトン選手と組める、ワールドチャンピオンと組めるということでの『やった!』という喜びよりも先に、(17年までコンビを組んでいた)伊沢拓也選手と離れなければならないという感情の方が先に出たのは、正直なところですね。伊沢選手とのコンビを解消しなければバトン選手とは組めませんが、本来伊沢選手とふたりでちゃんと結果を出していればこういう話にもなりませんでしたし、残念な気持ちがありました。ふたりでちゃんと勝ち星を積み重ねられなかった。ただ、こうしてバトン選手と組むことになったので、今度はバトン選手のいい部分、組むことによるメリットを見出さなければいけない。ちょっと時間はかかりましたが、切り替えていけたと思います。
──ホンダとして、ジェンソン・バトンのチームメイトにはやはりホンダのエースを……という部分もあったのではないかと個人的に推察していたのですが。
NY:それはホンダさん、バトン選手のリクエストもあったかもしれませんが、僕だけがホンダのエースとして自覚をもってやっているわけではないと思っています。誰しもが組めるチャンスはあったと思うんです。総合的に見てドライビングスタイルや、性格などを考えていただいて、『山本と組むのがベストじゃないか』と判断してもらったんだと思っています。