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スーパーGT ニュース

投稿日: 2020.04.24 19:33
更新日: 2020.04.24 19:38

開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:TEAM KUNIMITSU

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スーパーGT | 開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:TEAM KUNIMITSU

 新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第25回目は、GT500クラスに参戦するTEAM KUNIMITSUだ。

■TEAM KUNIMITSU

マシン:RAYBRIG NSX-GT
ドライバー:山本尚貴/牧野任祐
カーナンバー:100
監督:小島一浩
総監督:高橋国光
タイヤ:ブリヂストン

 ジェンソン・バトンが2019年限りでスーパーGTでの活動を終え、新たにエース山本尚貴のパートナーとして、牧野任祐を迎えることになったTEAM KUNIMITSU。スーパーGTでも屈指の歴史と人気を誇るトップチームだが、チームとしての活動開始は1992年にさかのぼる。

 当時、大人気を誇ったJTC全日本ツーリングカー選手権では、グループA仕様のR32ニッサン・スカイラインGT-Rがその人気を支えていたが、1992年のタイサンSTP GT-RがTEAM KUNIMITSUとしての最初の一台。チームの名にもなっている高橋国光現総監督と、土屋圭市という“師弟コンビ”が組んだGT-Rは特に人気の一台となった。この頃はTEAM KUNIMITSUとしての参戦だが、運営はニスモが担当していた。またN1耐久(現スーパー耐久)にも参戦する。

 グループAが終わり、1994年からはJTCC全日本ツーリングカー選手権にホンダ・シビック・フェリオ(土屋圭市)で参戦したほか、ル・マン24時間にも挑戦を開始する。1994年にはケンウッドカラーで挑むと、95年には高橋国光/土屋圭市/飯田章のトリオでGT2クラス優勝。翌96年にはクラス3位表彰台を獲得した。現在も『RAYBRIG』ブランドでチームを支えるスタンレー電気とは、この頃からの関係だ。このル・マンで使われたGT2仕様のNSXは、鈴鹿1000kmや十勝24時間でも大活躍をみせている。

 一方スーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権には、シリーズ初年度の1994年第3戦富士から参戦を開始した。マシンはポルシェ911 RSR。ブラックとレッドのアドバンカラーに彩られたマシンは、第4戦SUGOでGT-R、スープラと競り合い見事優勝。TEAM KUNIMITSUのGT初勝利はこのレースだった。

 翌95年、ポルシェはBPカラーに彩られ参戦。96年にはル・マンで活躍したNSXを持ち込むが、この年はマクラーレンF1 GTRが猛威を振るい、GT-R、スープラも戦闘力を増していた。TEAM KUNIMITSUがトップグループへと返り咲くのは、翌1997年にGT500の様相を一変させた、ホンダNSX-GTの登場を待たなければならなかった。

 97年からは高橋国光/飯田章のコンビで参戦し、99年限りで高橋国光は引退し監督に就任。その後チームは服部尚貴や伊藤大輔、加藤寛規、光貞秀俊、中野信治、セバスチャン・フィリップ、ジェレミー・デュフォア、細川慎弥、ドミニク・シュワガー、井出有治など、蒼々たるメンバーがステアリングを握ってきた。

 2010年、ホンダHSV-010の投入とともに、チームには伊沢拓也と山本尚貴というふたりが加入し、“名コンビ”がここで結成される。2013年には山本が童夢へ移籍、2014年には伊沢が渡欧したが、2015年にはふたたびコンビ復活。2017年まで続いた。

 2018年、チームには新たにF1ワールドチャンピオン経験者のジェンソン・バトンが加入し、山本とコンビを組んだが、この年ついにTEAM KUNIMITSUは悲願のチャンピオン獲得を果たす。チームの長い歴史のなかで、95年ル・マン以来の栄冠となった。

 さて、そんなTEAM KUNIMITSUのカーナンバーといえば『100』がおなじみだ。チャンピオンナンバーの『1』をつけた2019年以外はすべてエースカーは『100』をつけており、鈴鹿1000kmや十勝でも100をつけていた(ル・マン24時間は47、84、75)。

 これはご存知の方も多いと思うが、高橋国光総監督が1961年に、二輪ロードレース世界選手権の西ドイツGPで日本人として初優勝を飾ったときのナンバー『100』にちなむ。またもうひとつの意味として、「チーム全員が100%で挑めるように」という高橋国光総監督の願いが込められている。

 ちなみに長いTEAM KUNIMITSUのJGTC/スーパーGTの歴史のなかで唯一『99』をつけたマシンが登場したのが1995年の第4戦〜第6戦。当時コンピューターゲームを手がけていたカネコが発売したスーパーファミコン用ゲーム『全日本GT選手権』のプロモーションのために、前年ノバが走らせていたポルシェ911 RSRを2台目として投入し、道上龍がドライブし第6戦MINEでポイントを獲得した(道上にとってはJGTCデビューのマシンとなる)。

 冒頭でも触れたとおり、今季は牧野が加わりどんな戦いをみせるのか楽しみなRAYBRIG NSX-GT。また同時に、実戦仕様のRAYBRIG NSX-GT『PHASE02』カラーも早くサーキットで見たいところだ。

RAYBRIG NSX-GTの2020年PHASE02カラーリング
RAYBRIG NSX-GTの2020年PHASE02カラーリング
グループAで活躍したTEAM KUNIMITSUのスカイラインGT-R
グループAで活躍したTEAM KUNIMITSUのスカイラインGT-R
1995年のル・マン24時間でGT2クラス制覇を成し遂げたTEAM KUNIMITSUのホンダNSX
1995年のル・マン24時間でGT2クラス制覇を成し遂げたTEAM KUNIMITSUのホンダNSX
1994年にJGTCにデビューしたADVAN PORSCHE。TEAM KUNIMITSUのJGTC最初のマシン。
1994年にJGTCにデビューしたADVAN PORSCHE。TEAM KUNIMITSUのJGTC最初のマシン。
1996年のADVAN BP NSX
1996年のADVAN BP NSX
1997年にJGTCにデビューしたRAYBRIG NSX
1997年にJGTCにデビューしたRAYBRIG NSX
2000年のRAYBRIG NSX
2000年のRAYBRIG NSX
2007年のRAYBRIG NSX
2007年のRAYBRIG NSX
2013年のRAYBRIG HSV-010
2013年のRAYBRIG HSV-010
2015年第6戦SUGO 伊沢拓也と山本尚貴のコンビで優勝を飾ったRAYBRIG NSX-GT
2015年第6戦SUGO 伊沢拓也と山本尚貴のコンビで優勝を飾ったRAYBRIG NSX-GT
2018年にチャンピオンを獲得した山本尚貴とジェンソン・バトン
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1961年に、二輪ロードレース世界選手権の250ccクラスを戦った高橋国光総監督
1961年に、二輪ロードレース世界選手権の250ccクラスを戦った高橋国光総監督
1995年の後半戦に登場したKANEKO PORSCHE。道上龍がドライブした。
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