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コラム ニュース

投稿日: 2020.06.13 14:39
更新日: 2020.06.29 16:15

2006年に初めて訪れたスーパーGTと富士で心奪われたフォードGTと紫電【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

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コラム | 2006年に初めて訪れたスーパーGTと富士で心奪われたフォードGTと紫電【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回は2006年のスーパーGT第3戦として富士スピードウェイで開催された『FUJI GT 500km RACE』。この年、コリンズは初来日&スーパーGT初観戦を果たし、GTの魅力にとりつかれたようです。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 スーパーGTについて、2006年の私は漠然とした認識、知識しかなかった。大学生のころにプレイステーションで古いJGTC全日本GT選手権のマシンを走らせたこともあったし、雑誌で読んだニュースから、JGTCの名前がスーパーGTに変わったことは知っていたが、当時のスーパーGTに関する知識はその程度のものだった。

 私が初めて日本を訪れた主な目的は、執筆していた書籍用に旧型F1マシンである童夢F105の写真を撮影すること、コンストラクターである童夢の林みのる代表にインタビューをすることだった。

 しかし、日本滞在中、いくつかチームのファクトリーを訪問し、日本のレースを観戦してみようとも考えていた。

 成田空港に到着した私は、成田エクスプレスを使って池袋まで移動した。宿泊するホテルは駅に隣接していたので道に迷うことなくみつけることができた。

 迎えた最初の夜は外に繰り出す勇気がなく、1日中ホテルの部屋に閉じこもっていた。初めて日本に来たということもあり、ヨーロッパで知り合った童夢の人たち以外、この国に知り合いはいなかったのだ。

 そこで私は東京のイギリス大使館に連絡し、日本のモータースポーツ産業についてレクチャーしてもらえないかと頼み込んだ。

 モータースポーツはイギリス経済にとって、数十億規模の輸出品であり、イギリス大使館ならばモータースポーツに関連する日本企業などを紹介してくれるだろうと考え、納税者という立場を最大限活用することにしたのだった。

 そしてある晴れた日、私はパスポートを持って早朝にイギリス大使館の門をくぐった。すると、私は大使館職員が運転する外交官ナンバーがついたクルマに乗せられて、富士スピードウェイに向かうことになった。

 私を案内してくれた大使館職員は富士スピードウェイでレースがあり、今日は予選セッションを見られるはずだと教えてくれたが、私は混乱した。その日は水曜日だったのだ。

 その大使館職員は今はゴールデンウイークであり、レースは週の真ん中に行われるのだと説明してくれた。当時の私はゴールデンウイークなど聞いたこともなかったので、それがなんなのか説明してもらわなければならず、恥ずかしい思いをしたのを覚えている。

 そう、私の日本に関する知識は不十分だったのだ。そのとき、日本についてもっと書物を読み、学ぼうと決めた。

 富士スピードウェイへの道中、酷い渋滞に巻き込まれ、大使館職員とのドライブは長時間になっていたので、さっそくこの時間を活用して日本に関する知識を深めることができた。大使館職員は私が今いる国がどれだけ素晴らしいか、レクチャーしてくれたのだ。

 大使館職員から日本に関する話を聞いていると目的に到着した。何年も前から訪れてみたいと願っていた富士スピードウェイにたどり着いたのだ。もちろん、私は1976年に富士で行われたF1日本GPで起きたこと、そして30度バンクの存在も知っていた。

 私たちはコースのどこにでも立ち入ることができるパスを与えられたが、最初に案内されたのはあるチームのピットガレージで、そこで初めてスーパーGTのマシンを見た。それはGT300クラスに参戦していたWILLCOM ADVAN VEMAC408Rだった。

■初めて目にしたスーパーGTマシンたち


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