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スーパーGT ニュース [PR]

投稿日: 2020.07.30 09:24

【今、振り返るGT500マシンの歴史/トヨタ編】SUPRA──今年、A90型GRスープラがレースに復活

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スーパーGT | 【今、振り返るGT500マシンの歴史/トヨタ編】SUPRA──今年、A90型GRスープラがレースに復活

 2005年11月6日。鈴鹿サーキット上空には分厚い雨雲が襲来していた。この年から「スーパーGT」へと名称を変えたシリーズの最終戦、つまり“初代”タイトル決定戦である。

 強まる雨脚に、決勝スタート時刻はたびたびディレイされた。53分遅れでレースが始まることとなったときには、周回数は53周から39周に減算されること、そしてひとりのドライバーの最大運転時間は当初の35周を維持することが発表されていた。これが、80スープラのGT500ラストシーズン「奇跡の逆転劇」への布石となる。ホンダ、トヨタ、ニッサンすべてのメーカーにタイトルの権利が残されるなか、各車はセーフティカー先導のもと、運命の決戦へと旅立っていった──。

* * * * *

 1993年に市販が開始されたJZA80型スープラは3.0リッター直6エンジン搭載、ターボ仕様では当時の自主規制値いっぱいの280ps(馬力)を発揮するトヨタのスポーツフラッグシップカーだった。高剛性なボディや流麗なルックスも好評を博し、登場直後からチューニングのベース車両としても絶大な人気を誇った。

 レース活動としてはまず、1993年のN1耐久最終戦にブリッツ・レーシングが手掛けた車両がデビュー。翌年、この年始まった全日本GT選手権(JGTC)のGT1クラスでも、スープラはレース活動を開始した。さらに1995・1996年には、グループCが終焉を迎えたル・マン24時間レースに、サードの手により『スープラGT LM』での参戦も実現した。

 JGTCにデビューしたスープラは、グループC向けに開発された2140ccの直4ターボエンジン、3S-G改を搭載していた(1996年から量産の3Sベースへと変更)。小排気量ターボとすることで、レイアウトや重量の面でアドバンテージを手にできる。1995、1996年は1勝どまりだったが、シャシー面で大幅なテコ入れがされた1997年には6戦中5勝を挙げ、カストロール・トムススープラのミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサが初タイトルを獲得した。

1997年JGTCカストロール・トムス・スープラ
1997年JGTC、カストロール・トムス・スープラでタイトルを獲得したミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ

 NSXの登場によりシャシーや空力などの開発レベルが上がるなか、スープラは1999年にサスペンションのインボード化など大改造を断行。2001年と2002年には連続でタイトルを獲得する。しかし小排気量ターボエンジンの限界を感じていた開発陣は、2003年に向けて“秘策”を準備していた。

2001年JGTC第7戦MINE
2001年JGTCチャンピオン、auセルモ・スープラの竹内浩典/立川祐路

 2003年、スープラは5.2リッターNAエンジンを搭載して開幕戦に登場する。NAエンジンでは排気量が大きいほどエアリストリクターの面で有利となる規則をうまく利用した方針転換であった。無事、新エンジンでの“デビューウイン”を飾ったものの、この年、そして排気量を4.5リッターとした翌2004年もタイトルは逃してしまう。

 なおこの頃、JGTCでの活躍と並行して鈴鹿1000kmレース(JGTC車両での参戦が可能)にも参戦、2001、2002、2005年と3度このレースを制している。とくに2002年は寿一・薫一の脇阪兄弟と飯田章という話題性抜群のトリオでエッソウルトラーフロースープラを走らせての勝利だった。絶対的な速さだけでなくレース全体を見据えた強さが問われるこの伝統の一戦でも、80スープラはその実力を見せつけていた。

2002年JGTCエッソ・ウルトラフロースープラ
2002年JGTCでタイトルを獲得したエッソ・ウルトラフロースープラの脇阪寿一/飯田章

 2002年に量産車の生産が終了し、スープラのスーパーGTでの活動も05年が最終年とされた。冒頭で触れた最終戦鈴鹿では、2台のスープラがタイトルの権利を残していた。

 レースは4周を終えて実質のスタートが切られると、規定周回数を迎えることから早くも“ピット戦争”に突入する。その翌周にピットを済ませたのが、PPスタートでランキング4位からの逆転タイトルを狙うZENTセルモスープラ(立川祐路/高木虎之介)だった。

2005年スーパーGT鈴鹿サーキット
2005年スーパーGT第8戦鈴鹿サーキット決勝スタート

一方のランキング上位陣は雨のコースにステイアウト。この作戦が運命を分けた。34周をドライブすることになった立川は後半、タイヤのグリップダウンに苦しみながらも、なんとかザナヴィ・ニスモZとの直接対決に打ち勝ちトップチェッカーを受け、14点差からの大逆転という奇跡が鈴鹿サーキットに刻まれた。

2005年スーパーGT鈴鹿 ZENTセルモスープラ
2005年スーパーGT鈴鹿 ZENTセルモスープラ

 同時にこれはJGTC/スーパーGTにおけるスープラにとっての「鈴鹿初勝利」でもあった。翌年からトヨタは参戦ブランドと車両をレクサスへと変更(一部チームは2006年もスープラの使用を継続)。この05年鈴鹿の優勝は現在でも「スープラ最後の勝利」である。

 あれから15年。いよいよGT500に「(GR)スープラ」が復活する。量産のA90型GRスープラも令和時代の新たなスポーツカーとして注目されるなか、GT500スープラの「鈴鹿2勝目」に期待がかかる。


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