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スーパーGT ニュース

投稿日: 2021.03.02 12:26
更新日: 2021.03.02 13:02

R34型スカイラインGT-Rの最後の一戦。ニッサン陣営が総力をあげて挑んだ2003年最終戦鈴鹿【スーパーGT名レース集】

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スーパーGT | R34型スカイラインGT-Rの最後の一戦。ニッサン陣営が総力をあげて挑んだ2003年最終戦鈴鹿【スーパーGT名レース集】

 日本でもっとも高い動員数を誇るスーパーGT。2019年にはDTMドイツ・ツーリングカー選手権との特別交流戦が行われ、2020年からはGT500クラスにDTMとの共通車両規則『Class1(クラス1)』が導入され、日本のみならず世界中でその人気は高まっている。そんなスーパーGTの全レースから選んだautosport web的ベストレースを不定期で紹介していく。

 連載7回目は2003年シーズンJGTC全日本GT選手権の最終戦鈴鹿。ニッサン陣営が総力をあげて挑んだR34型スカイラインGT-Rの最後の一戦だ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 チームオーダーの是非は今も昔も議論は絶えないが、それを差し置いても、見事なチームワークと言わざるを得ない戦いがある。それが2003年の最終戦鈴鹿だ。このレースは、ニッサン陣営が総力をあげてチャンピオンを、まさに“強奪”した戦いであった。

 なお、これからお伝えする内容は、多分に筆者の推測が含まれていることをご了承いただきたい。なぜなら、このレースに関してニッサンドライバーをはじめ、陣営の誰ひとり「イエス」と言った者はいないからだ。だが、当時「イエス」を前提としたオートスポーツ本誌での報道でも、何のおとがめもなかったことが、すべてを物語っていると言えるだろう。

 メーカーは、節目のシーズンはいつも以上に「獲りにいく」のが常。翌2004年シーズンにマシンをフェアレディZにスイッチすることが決まっていたニッサン陣営は、この2003年がR34型スカイラインGT-Rの最終年。当然、シリーズ制覇が厳命であった。

 しかし、最終戦を迎えるにあたり、ランキングトップはニッサン勢ではなく、トヨタのエッソウルトラフロースープラだった。ポイントはエッソが79ポイントで、2位がザナヴィニスモGT-Rの73ポイントだった。

 最終戦でザナヴィが優勝してもエッソが2位であればよく、ザナヴィが2位ならエッソは4位でもチャンピオンとなる。

2003年のエッソウルトラフロー・スープラ(脇阪寿一/飯田章)
2003年のエッソウルトラフロー・スープラ(脇阪寿一/飯田章)

 余裕はエッソにあったが、かといって何もせず最終戦を迎えるのではなく、フロントのダウンフォース不足を補うため、この1戦だけのためにフロントバンパーを一新している。また、スープラ勢のなかでもベストなエンジンを搭載しており、できる限りの対策は打ってきた。

 ただ、走り始めからマシンの調子が今ひとつであり、その状況は予選になっても変わらなかった。「4輪ともグリップしない」と訴える脇阪寿一のコメントを受けて、チームは予選中にダンパー交換という大鉈を振るう。

 その効果はあったが、アタックラップは1周のみ。そのセクター1を寿一は自己ベストで通過する。

 と、次の瞬間、コースの各所でGT-Rが“偶然に”ほぼ同時にオーバーランしたのだ。クラッシュするほどのオーバースピードではなく、全3台がすぐにコースに復帰した。たっぷりの砂利をばら撒きながら……。

 悪いコースコンディションでは、充分なグリップを得られるわけもない。その結果、エッソは予選6番手となった。さらに戦況を苦しくさせたのは、その時すでにザナヴィが3番手となるタイムをマークしていたこと。そしてエッソの目の前の5番手にモチュールピットワークGT-Rまでもが割り込んだことだ。

 ニッサン陣営の非情なまでの勝利への地固めが着々と進行するなか、決勝前のトヨタのミーティングでは、「トヨタはオーダーを出さない。正々堂々といきましょう」と宣言された。対して、ニッサン勢は、おそらく綿密な打ち合わせをしていたはずだ。なぜなら決勝スタートと同時に繰り広げられた連携プレーが完璧だったからだ。

2003年のザナヴィ・ニスモGT-R(本山哲/ミハエル・クルム)
2003年のザナヴィ・ニスモGT-R(本山哲/ミハエル・クルム)

 ザナヴィのスタート担当は本山哲。搭載する燃料は軽く、序盤に逃げる作戦。グリーンシグナルと同時に加速するザナヴィに対し、5番手のモチュールは「なぜか」失速してしまう。すぐ後ろのエッソ飯田章は追突しそうになり、思わずブレーキ。その隙に7番手スタートのカルソニックスカイラインがモチュールの前に出たのである。

 これでエッソはすべてのGT-Rの後ろで走らなければならなくなった。しかも目の前のモチュールは、「ブレーキにトラブルを抱えている」らしく、ペースが上がらない。ザナヴィはその間に20秒以上先まで逃げてしまった。

 スローペースのモチュールとの攻防でタイヤの摩耗が激しくなったエッソは、予定よりも早めにピットインせざるを得なくなった。後半担当の寿一は、ロングスティントでタイヤをケアしつつライバル3台を追わなければならない。もはやここで勝負あったと言える。

 終盤は、ザナヴィの背後にモチュールが“護衛”するがごとく追走する念の入れようで、結局ザナヴィ3位、エッソは7位でチェッカー。R34型スカイラインGT-Rのラストイヤーを、ニッサンが逆転で締めることになった。

 レース後、「3対1ではレースに勝てない」と寿一は言った。チームルマンの土沼広芳監督が「今回は完全に速さで負けていた」と語ったように、走り始めからセットが決まらなかったのも敗因のひとつではある。ただ、「1対1ならばもう少し戦えた」という思いが、チーム側にはあったことだろう。

 2003年にエッソが付けていたカーナンバー「1」は、翌年フェアレディZが付けることになった。

2004年にJGTC(全日本GT選手権)を戦ったザナヴィ・ニスモZ
2004年にJGTC(全日本GT選手権)を戦ったザナヴィ・ニスモZ


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