2021年も、ファンのために熱いレースを展開してくれるスーパーGTドライバーたち。SNS等でも散見されますが、所属するチームやメーカーによって差はあれど、多くのドライバーが“繋がり”をもっています。そんなGTドライバーたちの横の繋がりから、お悩みを聞くことでドライバーの知られざる“素の表情”を探りだす新企画をスタートしちゃいました! 今回はTeam LeMans w/MOTOYAMA Racingの本山哲選手から急に振られた(?)埼玉トヨペット Green Braveの吉田広樹選手に突撃です。
しばしばSNS等でも見られる、気になる2ショット。「へえ、あのドライバーたち、仲良いんだ」とファンの皆さんも驚くこともあるのでは。そんなGTドライバーの繋がりをたどりつつ、ドライバーたちの“素”を探るリレートークのようなものができないか……? という企画が編集部内で出てきたのが2月。第1回の石浦宏明さんから阪口晴南さん、新田守男さん、高木真一さん、さらに片岡龍也さん、柳田真孝さん、星野一樹さん、本山哲さんと繋がっています。
「GT300で上位を走る吉田さんにどうすれば成績が上がるかアドバイスを」というGT500三度のチャンピオンからのオーダーに、取材前から狼狽していたという吉田選手に話を聞いてみました。
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──そんなこんなで、前回の本山さんの話を読んでいただいたと思うんですが、今日はよろしくお願いします!
吉田広樹さん(以下、吉田さん):いや〜、もう驚きましたよ。なんでオレなんですかって。鈴鹿でスポーツ走行に来ていた本山さんと会って、僕が『嘘ですよね!?』と聞いたら、本山さんがニヤニヤしながら『何かうまくやって』と言われました。もうまさかの展開で……困った(苦笑)。
──ではその流れから聞いていきたいのですが、前に本山さんの会社にいたの?
吉田さん:はい。2年いました。
──割と長いこといたのね。
吉田さん:実際は2年と言っても、2年目は本山さんのところから出向して、伊達公子さんの運転手をしていたんです。
──へえ! それは知らなかった。
吉田さん:所属は本山さんの会社だったんですが、当時、本山さんとミハエル・クルムさんがフォーミュラ・ニッポンでアラビアンオアシスカラーで走っていたんです。服部尚貴さんが監督で、本山さんとクルムさんがアラビアンオアシス号に乗り、僕はFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)をやっていたんです。
FCJもJRP(日本レースプロモーション)が運営で、いつも一緒のレースウイークだったから、僕も服部さんのところに顔を出していて(※)。それで本山さんとクルムさんも知っているというところから『東京に来て本山さんの事務所で働かない?』ということになり、服部さんと本山さんたちが話してくださり、事務所で働くことになりました。
1年間は運転手をしていたり、本山さんのマネージャーさんともうひとり先輩がいて、マネージャーさんとその先輩と僕とで本山さんのグッズを物販したり、事務所の仕事をしたりしていました。
※吉田広樹選手は服部尚貴さんの『Team NAOKI』出身。先輩に石浦宏明選手、後輩に白坂卓也選手がいます。
──事務所仕事ということは、パソコンいじったりとかもしたり?
吉田さん:それもしていました。で、本山さんがスーパーGTでニスモに乗っていたので、女性のスタッフさんがドリンクを出したりしていたのですが、2008年から本山さんはフォーミュラ・ニッポンではTeam LeMansに移籍して石浦さんとチームメイトになったんです。
そのときは本山さんがピットに帰ってきたときには僕がモニターを出したり、ドリンクを渡したりタオルを出したりして、身の回りのお世話みたいなことをさせてもらいながら運転手もしていました。でもその頃はめっちゃ怖かったですよ。
──怖かったというと?
吉田さん:本山さんが尖りに尖っていた頃なので……。シーズンオフのときはめちゃくちゃ優しいし面白い冗談を言ったりしている感じでしたが、特にフォーミュラ・ニッポンはスーパーGTよりもひとりで乗っているピリピリ感がすごくて……。石浦さんが『本山さんがあんな感じだと俺は控室に帰れない』とか言っていて、服部さんと石浦さんとサインガードで『誰が控室の扉を開けますか?』というようなやり取りをするくらい、本山さんは打ちこんで走っていましたね。
──あの頃の本山さんのオーラはすごかったもんね。
吉田さん:すごかったです。チャンピオンをずっと獲得しているときだったので、怖かったですね。その流れで、2年目は伊達さんがテニスで現役復帰されたので、そのときの運転手をクルムさんが本山さんに相談して『行ってみる?』みたいなことになって、1年間伊達さんの運転手をしていました。
──なるほど。あと本山さんの運転手を始めてすぐに本山さんのシーマをコスったという話を聞いたのですが。
吉田さん:はい(泣)。それはみんなに、『当時の本山さんを乗せて運転するという緊張』がどれほどのものかというのを分かってほしいです! 僕なんてまだFCJのドライバーで、かたや現役バリバリで日本のレース界を引っ張っている方の運転手をする緊張感で、もう大変でしたよ。本当に、いまのレースの何倍も緊張してクルマに乗っていました。
──気持ちはわかる(笑)。
吉田さん:本当に怖かったです。だけど、オフのときはふだんどおり優しく冗談交じりで接してくれていました。とはいえ、こちらが今みたいな感じで接することができるわけでもなく……といった感じでしたね。
■「もう勘弁してくださいよ〜」
──そんな本山さんのお悩み相談ですが、オートスポーツwebに掲載したものは読みましたか?
吉田さん:読みました(苦笑)。
──『いまGT300で輝いている吉田さんに、GT300で活躍する方法を教えてほしい』ということでした。
吉田さん:もう怖いよ〜! そんなの分からないですもん(泣)。答えられないですよ〜。
──え〜、本山さんは『ぜひご教授頂ければ光栄です』とも言っていました。
吉田さん:そんな……え〜(泣)! 変な話、僕は本当にタイミングが良かっただけなんで。今のパッケージで埼玉トヨペットさんがブリヂストンに変わるタイミングだったこともありますし、マークXも僕がチームに来て3年目で、さらにはGRスープラも初年度からトラブルなく、メカニックの皆さんもマークXで相当鍛えられていました。なのでGRスープラにマシンが代わっても、いろいろな部分もしっかり分かってくれているからノートラブルでずっときていたので、僕は本当にいいタイミングで乗せてもらっただけですね。
──じゃあ本山さんは『流れに乗れ』ということですかねぇ。
吉田さん:そんなこと本山さんに言えないっす! 流れ乗っていますし(笑)。そういう本山さん、服部さんという先輩たちを見てきてこうなったわけですから。いやいや、もう『運』です。『めぐり合わせ』と『運』です!
──では、今の吉田広樹は『めぐり合わせ』と『運』がノッていると。
吉田さん:年齢を重ねていって、少しずつですけど僕が良くなったことももしかしたらちょっとあるかもしれません。あとはパッケージですね。GAINERに乗れたことも大きかったですし、もちろんその前のTOMEI SPORTSでいつも予選を行かせてもらって、そこからPACIFIC Racingでも乗って、チャンピオンを獲ったこともあるGAINERに移籍して、チームメイトの平中(克幸)さんたちとクルマも2年目から一緒になりました。
そこでデータが共有できるようになり、(星野)一樹さんと組むことですごく勉強をさせてもらって、次に埼玉トヨペットGreen Braveで(脇阪)薫一さんと組むことができました。本当にいろいろタイミングが良かったです。スーパー耐久では服部さんとも組めました。いろいろ教えてもらっていましたけど、一緒に組んでレースウイークの流れだったり運び方というのを、服部さんと一緒にやれたことは大きかったと思います。
──本山さんも若い頃はそうだったわけですしねぇ。
吉田さん:たぶん……。いや、実際僕が見たわけじゃないですけどね(笑)。僕が知っていたときにはもうレース界のトップで、業界を牽引していた側だったので。僕はレースのスタートが遅かったぶん、カートをやっていたわけでもないので。
──そうか、吉田選手はレーシングカート出身じゃないんですね。
吉田さん:そうです。僕は20歳で免許をとってからレース界に来ているので、その頃には服部さんも本山さんも、もうフォーミュラ・ニッポンやGT500でバリバリ活躍されていたときでした。当時は本山さんがF1のテストをしていたくらいです。
僕は良い環境だったんでしょうね。今も良い環境なのはもちろんあるんですけど、ここに来る過程もいろいろなレジェンドや実績ある先輩たちを見てきました。石浦さんもそうですし、いままで組んだチームメイトの先輩、一樹さんや平中さん、薫一さんたちと組んで、すべてが良い方向にきています。運と巡り合わせとタイミングですね。
──じゃあ、本山さんに教授できることなどないっつうことですね。
吉田さん:いや当たり前じゃないですか(笑)。もう勘弁してくださいよ〜。あ〜もう恐ろしいです〜(泣)。