スーパーGT GT300クラスに参戦する注目車種をピックアップし、そのキャラクターと魅力をエンジニアや関係者に聞くGT300マシンフォーカス。2021年の第4回はスーパーGT黎明期から参戦を続ける古豪JLOCのエース車両、88号車『JLOC ランボルギーニ GT3』が登場。おなじみランボルギーニの“GT3車両”は、2012年のシリーズ初登場以来ガヤルドLP600+GT3、ガヤルドGT3 FL2を経て、現在のウラカンGT3がアップデートを続けながらも2016年から走り続けてきた。そのほぼ全車を手掛けて来た勝俣雅史エンジニアに、最新世代のウラカンGT3“EVO”の素性を聞いた。
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かつてGT1と呼ばれた最上位クラスに名機『カウンタック』を持ち込んだJLOCは、その後もGT500と呼称を変えたトップカテゴリーに『ディアブロイオタ』を投入。以降も『ディアブロGT-1』『ディアブロJGT-1』や『ガヤルドRG-3』『ムルシエラゴR-GT』など数々の独自開発マシンでシリーズを戦い、全日本GT選手権(JGTC)からスーパーGTへと連綿と続くカテゴリーの発展を支えてきた。
その開発作業を通じてランボルギーニのモータースポーツ車両開発を担ってきたドイツのライターエンジニアリングとの強力な信頼関係も築いてきたJLOCは、2012年に自社製作モデルと並行して、彼らが開発を主導した2台のGT3モデルを日本に持ち込み、4台体制の大所帯でシーズンを戦った。
そこからベースモデルのアップデートに合わせて『ウラカン』へとスイッチした2016年には、イタリア本社側の開発体制も一新。自社のレーシング部門『スクアドラ・コルセ』が立ち上がると同時に、GT3車両のサスペンション構成とエアロダイナミクスの開発に、同じイタリアに拠点を置く世界的コンストラクターのダラーラが参画することで、彼らが世界中で培って来たフォーミュラ由来のエンジニアリング・ノウハウが注ぎ込まれるようになった。
「ガヤルドはまだチューニングカー的な雰囲気がありましたが、ウラカンはもう完全に現代的なレーシングカーでした。そして現在の“19EVO”は、本当にもうオーソドックスな『ザ・ランボルギーニ』というような。ブレーキングに強く、トラクションも高く、そういった流れを持つクルマですね」と語るのは、歴代ほぼ全車の個性を把握し、その仕立てを担ってきた勝俣エンジニア。
ロードカーと同様にグループ内ブランドである『アウディR8』と基本コンポーネントを共有するウラカンは、ロードラッグかつ空力に絶妙なバランスを保ちつつ、5.2Lの90度V型10気筒自然吸気エンジンならではの、ストレートエンドの伸びを武器とする。
しかし駆動輪であるリヤタイヤ上部に大きなエンジンブロックを搭載することと、ベース車由来のフレームによりサスペンションのピックアップ位置が制限されることで、ジオメトリーがタイヤへの負荷を大きくする一因に。また先代のガヤルドから共通して縦置きV10のさらに後方にギヤボックスケーシングが張り出すレイアウトの影響で、ディフューザーの総面積や跳ね上げ角度でも絶対ボリュームの低さがネックとなっていた。
それゆえ「ある時期まではリヤを守る意味でも、路面ミューの高いサーキットでもピークを……という考えで(コーナリングでは4輪のうちのいずれか)1輪に乗せて使うイメージでした」と説明する勝俣エンジニア。
そんな、ある意味では“弱点”とも言える素性を覆す転機となったのが、2018年に招聘したスクアドラ・コルセ契約のワークスドライバー、マルコ・マペッリの存在だ。彼がもたらした知見とは、セットアップをメインとしたマシン素性の活かし方。つまり車両前傾姿勢をつけてクルマが持つダウンフォースを中心に走らせ方を組み立てる、現在へと続くトレンドでもある“レイクアングル”の活用である。劇的に変化した車両セットアップの方向性に関して、2018年当時の勝俣エンジニアも次のように語ってくれていた。
「ガヤルドからウラカンの最初のころは、僕らがクルマの空力性能をうまく使えていなかったかもしれない。マペッリさんが来てくれて、いろいろと教えてくれたことでダウンフォースの使い方というのを学んだ面があります。車高はより前下がりになりました。そして『前下がりになったらオーバーじゃないですね、このクルマ……』という。それで走行姿勢が変わり、フロントのグリップが出せるようになりました。空力を活かせるようになったので、使えるタイヤの仕様も大きく変わりました」
この前傾姿勢=レイクアングルにより一躍トレンドセッターとなったウラカンは予選でもQ2常連となり、2018年は平峰一貴の活躍もあり二度のポールポジションを獲得。決勝でもシングルフィニッシュが当たり前のパフォーマンスを示すようになった。
しかし、明けた2019年にランボルギーニはさらに異なる解答を用意する。それが同年の第6戦オートポリスから日本上陸を果たした“19EVO”だ。
「このEVOで『さらにレーシングカー化』が進んだ感じです。空力面も含め、よりレーシングカーに近づいていってる感じで、まったく違うクルマになっていますね。完全に別モノです。マペッリさんが乗ったときと、本当にもう『まったく、まったく違う』クルマ。空力もアシも違いますし、すべての構成部品の要件で全然違う使い方になっています」と、勝俣エンジニアもその大きな相違を強調する。