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スーパーGT ニュース

投稿日: 2021.11.25 11:25
更新日: 2021.11.25 11:28

HOPPY team TSUCHIYA、22年はGT300規定GRスープラ製作へ「50年の恩返しを最後のクルマに」

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スーパーGT | HOPPY team TSUCHIYA、22年はGT300規定GRスープラ製作へ「50年の恩返しを最後のクルマに」

 2021年まで、ポルシェ911 GT3 RでスーパーGT GT300クラスを戦ってきたHOPPY team TSUCHIYA。チームは2022年に向けて、新たにGT300規定で製作されるトヨタGRスープラにマシンをスイッチすることになった。すでに、チームを支援するサムライサポーターズには告げられている内容だが、車両を新たに製作するまでのストーリー、そしてその意図はなんなのか。つちやエンジニアリング土屋武士代表に聞いた。

■「クルマ、作ることに決めたから」という最後の約束

 長年レーシングドライバーとして、国内のトップで活躍してきた土屋武士が、2008年に活動を休止したつちやエンジニアリング再興を目指し、2014年から『3カ年計画』を立ち上げ、その公約どおりに2016年のGT300チャンピオンを獲得してから5年。この間にも、つちやエンジニアリング=HOPPY team TSUCHIYAにはさまざまなドラマがあった。

 2019年まで使用したマザーシャシーの86 MCは松井孝允をチームのエースへと育て上げ、山下健太、坪井翔をトップカテゴリーに送り出した。また、チームは“職人の技術の伝承”をテーマに据えており、これまでの5年間のなかで、若きメンバーたちはチーム創設者である武士の父、故・土屋春雄さんの「バケモノみたいな職人の技術(武士)」を吸収していった。

「もともとこのチームで活動するテーマは、次代を担う若い職人を育てるというもので、親父が元気なうちに技術とスピリットを継がせたいというものがあった。そういう人材が集まってきてくれて、サポーター、スポンサーが集まってきてくれた。今でもそこはブレていない」とつちやエンジニアリングの“現在”について武士は言う。

 2020年からは、武士が「プライベーターの味方」と評するポルシェ911 GT3 Rに車両をスイッチ。GT3を使うライバルたちと同じ土俵に立ち、チームの力をみせてきた。ただツインリンクもてぎなど得意なコースでは上位争いに加わったが、強豪復活……というわけにはいかなかった。この2年ポルシェの性能調整は苦しく、特に同じくつちやエンジニアリングがメンテナンスをしていたたかのこの湯 GR Supra GTが優勝した今季第3戦鈴鹿では、優勝直後にもかかわらず、武士は怒りを爆発させていた

 ただ、そんなポルシェでの2年間は、決して無駄なものではなかったと武士は言う。「性能調整もあって成績は出ていないけど、カスタマーレーシングカーとしてポルシェはいちばんの老舗で、クルマの作り込みなんかはすごく勉強になったし、ウチの職人たちもポルシェで育てられた。国産のGT3と比べても圧倒的にメンテナンス性なんかも高いし、学んだところも多い」と武士。

 そんななか、2020年に春雄さんは少しずつ病床に伏せる日々が増えていった。春雄さんからはやはり「なんでクルマを作らないんだ」とずっと言われていたのだという。しかし後述するが、GT300マザーシャシーでも高かった製作費用をそう簡単に捻出するわけにもいかない。

 武士自身、GTエントラント協会内の『戦略検討部会』に加わり、次期マザーシャシーの検討にも加わったが、コロナ禍のなか、「坂東(正明GTA代表)さんはこの2年、ものすごい労力をかけてコロナ禍のなかでレースを開催し続けてくれて、少しでもサポートしよう」と新型コロナウイルス感染症対策の緊急事態対策本部の任にもあたったため、「単純に、いま坂東さんが他のことを考えるのは無理だろう」とマザーシャシーの検討は思うように進まなかった。

 残される“クルマを作る”選択肢は、いわゆる『GT300規定』でいちから作ることだ。現行車で言えばスバルBRZやトヨタ・プリウス、GRスープラがそれにあたる。ただいちから作る費用は当然ながら高額だ。いかに創意工夫を凝らしても、補える限界がある。

 武士が悩みながら、最終的に「若い子たちが自分の技量を上げるために」新たな車両製作を決断したのは、チーム創設50年にあたる2021年、4月10〜11日の第1戦岡山の予選日だった。岡山でさまざまな人たちに「クルマ作りたいんだけど」と相談したところ、多くの人たちが「昔は春雄さんにお世話になったんだから、作るんだったら協力するよ!」という返事をくれた。

 その夜、武士は実家に電話をかけ、病床の春雄さんに「クルマ、作ることに決めたから」と伝えた。声は聞こえなかったが、家族から「ニコッとしているよ」と伝えられた。

 翌日、武士とHOPPY team TSUCHIYAのメンバーがスーパーGT第1戦の決勝に向けて準備を進めているころ、春雄さんは亡くなった。まるで岡山までレースを観に来るのではというタイミングだった。

 そして「クルマ、作ることに決めたから」という武士との約束が、最後の会話になった。

2021年2月のスーパーGTファイル取材時の写真。春雄氏が持つボトルには『生涯現役』と、武士の持つボトルには『打倒ワークス』と彫られている。チャンピオン獲得時、最終戦もてぎでサポーターから進呈された
今年2月のスーパーGTファイル取材時の写真。春雄氏が持つボトルには『生涯現役』と、武士の持つボトルには『打倒ワークス』と彫られている。チャンピオン獲得時、最終戦もてぎでサポーターから進呈された
黙祷を行った土屋武士監督、GTA坂東正明代表、高木真一、モモコルセ・アペックスMR2
第2戦富士で黙祷を行った土屋武士監督、GTA坂東正明代表、高木真一、モモコルセ・アペックスMR2

■たくさんの人たちに支えられながら

 こうして、2022年に向けた新たなクルマづくりが始まった。まずはどの規定で作るかだが、これは先述のとおり、GTAが定めるGT300規定しか選択肢がない。そして車種も問題だ。武士としては「これから出てくるGR86という車種があり、自分もその市販車の開発にすごく携わらせてもらったし、GR86自体大好きだし、前のMCもそうだし、ずっとGR86で出るイメージができていた」と、当然GR86が候補車種として上がった。

 ただ、2021年から採用されているGTAが定めるGT300車両規定内では、現在走っているGRスープラのようなパイプフレーム形状のフレームは作ることができないことが判明した。この車両を作り始めた時点で、トヨタ自動車/TCD(トヨタカスタマイジング&ディベロップメント)からJAFの公認を得ているフレームは、2020年のJAF-GT規定でホモロゲーションが通り、現在も走っているGRスープラのものしかなかった。

「コツコツ作っていかないとお金かかっちゃうし、タイムリミットもある。そう考えたときに、他は自由に作れるし、2020年のJAF-GT規定で作られているGRスープラのフレームを使うのが現実的だろうとなった。Max RacingのGRスープラもあるし、いろいろなものを共有できるだろう」とGRスープラでの車両づくりが始まった。これが決まったのが8月のことだ。また車種選定にあたっては、エンジニア出身でもあるGRカンパニーの佐藤恒治プレジデント、そして“モリゾウ”ことトヨタ自動車豊田章男社長も技術の伝承、若手育成というコンセプトを大いに応援してくれたという。

「クルマを作るにあたっては、たくさんの人たちが応援してくれないとできないこと。GRスープラを使う許可も必要で、そこはモリゾウさん、佐藤プレジデントもめちゃくちゃ応援してくれている。会社としてもですが、個人として応援してくれています」

 ちなみに、GRスープラ自体は2020年にデビューしすでに大活躍しているのはご存知のとおり。この製作にあたってはaprが大きな役割を果たしているが、aprの金曽裕人代表も、「土屋春雄にはたくさんのものをもらってきたから、それを返すのは当たり前」とつちやエンジニアリングのものづくりを応援しているひとりだ。

 まずは、車両の骨格となるロールケージ作りがスタートした。ホモロゲーションを受けている図面のまま、武士が子どもの頃から知る、春雄さんのものづくりの仲間であった、山崎明さんの工場で、つちやエンジニアリングの若手たちが鍛えられながら行われた。山崎さんはまさに“職人”と言える人物で、過去には技能五輪にも出場したほどの溶接のスペシャリストだ。

「親父に恩返しをしたいと山崎さんがずっと言ってくれてて、それでフレーム作りが始まったんです。僕なんかは昔から知っているから平気だけど、若い連中にとっては怖いわけです(笑)。工場に行ってグリグリやられながら作りました。知る限り日本でいちばんの人なので、その人の技術を見ながら作ることができたのはいちばんの財産」と武士。

 そして、設計はHOPPY Porscheの木野竜之介エンジニアが手がけることになった。「自分ひとりでやるのはもちろん初めて」という。「(メカニックの)武藤良明、木野のふたりがいればやれると思っています。このふたりは、30歳代では“ちょっとおかしなレベル”の職人になれる(笑)。そこはバケモノ職人を見続けてきた僕の鼻が利くので」と、土屋武士自身ではなく、若手に任せることになった。

「能力はめちゃくちゃ高いけど、当然リスクはありますし、全部を経験するのは初めて。そう簡単にうまくいくわけはないと思っています。でもなるべくやりたいことをやらせてあげたい。失敗しなければ覚えないこともあるし、成功と失敗が人を成長させると思っているので」

 もちろん「負け戦」にならないように武士がバランスはとるが、それでもチャレンジングな取り組みであることには変わりない。これから初めてのクルマづくりとなる若手が作るのが、つちやエンジニアリングのGRスープラなのだ。そしてこういう体制での取り組みになったのは、武士自身のマインドの変化があったからだ。

つちやエンジニアリングのGRスープラのロールケージ
つちやエンジニアリングのGRスープラのロールケージ
神奈川県藤沢市のつちやエンジニアリングのガレージ。この日はたかのこの湯 GR Supra GTとHOPPY Porsche、HOPPY 86 MCが収まっていた。白いカーテンの向こうにはGRスープラのロールケージが。
神奈川県藤沢市のつちやエンジニアリングのガレージ。この日はたかのこの湯 GR Supra GTとHOPPY Porsche、HOPPY 86 MCが収まっていた。白いカーテンの向こうにはGRスープラのロールケージが。

■クルマづくりを恩返しに

 今回“約束”に至るまでの武士の決断は「やっぱり勢い(笑)。ただ作りたいから、決めて約束したから」だったという。ただその後は、偉大な職人だった父が亡くなったことで、武士にも心境の変化があった。「親父が亡くなって、自分のなかでもこれまでの人生でいちばん大きな変化があったかもしれない」と武士は言う。

「同じ業界で働いてきて、しかも父親はカリスマ職人で、『親父に認められなければダメだ』という思いでやってきた。技術者として、親父の背中を見ながらやってきて、職人というものを本当にやり込んで自分の中で経験できたし、それは親父も認めてくれた」

 ただモータースポーツを含め世界が変わりつつあるこの時代は、武士によれば「職人殺し」の時代だという。その中で「若い子たちだけでも、その景色をずっと見続けられるような環境作りをするのが自分の役目」とマインドが変化していった。

「親父はいないけれど、親父がいないつちやエンジニアリングでクルマを作るのは初めて。親父がいたつちやエンジニアリングは、放っておいてもクルマができるようなパワーがあるガレージだったけれど、二代目の土屋武士になって、何が作り出せるのか」

 武士は今回、ある意味チームの仲間の仕事を守るために、春雄さんが残してくれた財産を使いながらクルマづくりに挑む。そこで求められるのは、「土屋武士には土屋武士にしかできない」ことだ。

「親父がいなくなって、『もう自分の人生でいいんじゃない?』という気持ちにもなってる。上から見ているんでしょうけど、48年間ずっと頑張ってきたんだから『いいじゃんもう』ていうのが本音(笑)。職人から、自分がちょっと引くのが必然かな、という思いもある」

「親父が望んでいた職人の道は、時代の潮流のなかでちょっとこの辺でおいといて、一歩引いた立場でやるのは時代の流れが大きいし、親父が亡くなったことも大きい。いまは迷いながらも、自分の器量を上げるフェーズだと思う」

 クルマづくりに直接携わるのではなく、引いた立場で。50年を迎えたつちやエンジニアリングは、職人を育てつつ、時代に合わせ新たな時代へ向かう。

「二代目になって、引き継いだというより、新しいつちやエンジニアリングになったという感覚なんです。ただ応援して下さる皆さんはつちやエンジニアリングのイメージがあると思うので、その期待に応えたい気持ちもある。強くなければいけないし、“最強プライベーター”と呼ばれてきた由縁だと思うんです」

「武藤、木野のふたりが土屋春雄級のバケモノになれるかというと分からないけど、この先の時代を担っていける職人になれる。もしかしたらならないかもしれないし、超えちゃうかもしれないけど。ただ、そこで肩肘張らず、『作ったら親父もファンの皆さんも喜んでくれるだろうな』という気持ちで作ります。このチャレンジはみんなの思いのチャレンジなので、自分のことは割とどうでも良いかなと(笑)」

 現段階で、新しいつちやエンジニアリングのGRスープラは、決まっていることもあれば決まっていないこともある。まず、サポーターズがチームのクルマに名付けていた“愛称”は決まった。「もう決めてます(笑)。『ホピ子』です。『ホピ子2』ですね」とHOPPY 86 MCに続く名がつけられる。「ただ名前をつけちゃうと愛着が湧いちゃって(笑)」と武士。

 ただ今は、不透明な部分も多いのも現状だ。先述したとおり、GT300規定車両はとにもかくにもコストが高くつく。現状、予算の面で厳しい部分があるのは間違いない。「ひょっとすると走れないかも」とすら武士は言う。厳しい時代ではあるが、さらなる支援が必要だ。

 ただ家族に対しても、かつて2000年に私財を投げ打ってフォーミュラ・ニッポンに参戦したとき、そしてHOPPY 86 MCを作った時も「これでお金使うの最後にするから」と言っていた武士は「本当に最後にしたいと思います(笑)」と今回のクルマづくりについて語った。ただ「意外と楽観はしてます」という。

「ウチ、今年50周年だったんですが、何もしなかったんですよね。ロゴを貼って、本ができた。でもたくさんの人たちに感謝を伝える場を用意しなければならなかったのですが、正直親父も亡くなって、自分も地に足がついていない状態で数ヶ月を過ごしてきました」

「このクルマを作ることで、皆さんへの恩返しというか、感謝のメッセージとさせていただければ。長く続けるためにはもっと技術力を上げていかなければいけないけど、その形のひとつがこのクルマを作ること。それでカンベンしてほしいなと(笑)」

つちやエンジニアリングのGRスープラのロールケージ
つちやエンジニアリングのGRスープラのロールケージ
“ホピ輔”ことHOPPY Porscheは第8戦富士がラストランとなる。クラッシュもなくリセールバリューは高いが、その後は「できればそのまま残したい」とのこと。
“ホピ輔”ことHOPPY Porscheは第8戦富士がラストランとなる。クラッシュもなくリセールバリューは高いが、その後は「できればそのまま残したい」とのこと。
2021年スーパーGT第1戦岡山 HOPPY Porscheのボンネットに貼られたつちやエンジニアリング50周年のロゴ
2021年スーパーGT第1戦岡山 HOPPY Porscheのボンネットに貼られたつちやエンジニアリング50周年のロゴ


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