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MotoGP ニュース

投稿日: 2022.03.16 19:30
更新日: 2022.03.16 19:49

【訃報】日本人初の世界GP優勝。二輪、四輪で活躍したレジェンドが亡くなる。高橋国光さん逝去

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MotoGP | 【訃報】日本人初の世界GP優勝。二輪、四輪で活躍したレジェンドが亡くなる。高橋国光さん逝去

 3月16日、本田技研工業は、スーパーGT GT500クラスに参戦するTEAM KUNIMITSUのチーム総監督で、二輪、四輪で活躍した高橋国光さんが亡くなったと発表した。82歳だった。

『国さん』の愛称で親しまれ、二輪、四輪で大活躍した偉大な選手、そしてモータースポーツの発展に尽くした第一人者が亡くなった。高橋国光さんは1940年東京都小金井市出身。まだ日本のモータリゼーションが未発達であった1950年代からバイクに親しみ、1959年の第3回浅間火山レースに出場。このときの活躍により、ホンダのワークスライダーとなった。

 1960年代には、ホンダとともに若き日本人ライダーとしてロードレース世界選手権に出場。1961年西ドイツグランプリの250ccクラスで、日本人ライダーとして初めての世界選手権優勝を果たした。その後も単身ヨーロッパを転戦していたが、1962年の第3戦マン島TTで転倒。重傷を負った。

 復帰後、1964年に四輪レースへ転向。ニッサンのワークスドライバーとしてR380シリーズや、スカイラインGT-Rの連勝記録に貢献。オイルショック後はフォーミュラでも活躍し、1977年F1日本グランプリにはティレル007でスポット参戦も果たした。

 1980年代は、ポルシェ956/962Cで全日本耐久選手権で3連覇を達成。またル・マン24時間への挑戦も開始した。また1992年には、自らの名を冠したチーム国光を結成。土屋圭市とともにスカイラインGT-Rを駆り、シリーズ屈指の人気チームとして活躍した。

 また1994年からは、ホンダNSXでル・マンに挑戦。1995年には土屋、飯田章とともにGT2クラスで優勝。JGTC全日本GT選手権でも活躍し、1999年に現役を引退するまで、トップドライバーのひとりとして愛され続けた。

 一方で、JGTCを運営するGTアソシエイションの会長を務めたほか、引退後はTEAM KUNIMITSU監督/総監督としてチームを牽引。2018年には山本尚貴/ジェンソン・バトン組RAYBRIG NSX-GTがチャンピオンを獲得し、総監督としてスーパーGT王者に輝いた。

 その長年の功績を称えられ、文部科学省から『スポーツ功労者文部科学大臣顕彰』を受賞した2020年には総監督として二度目のチャンピオンを得たが、その頃から悪性リンパ腫を患っており、闘病生活を送っていた。近年はサーキットを訪れる回数は少なくなってきており、スーパーGTでは2021年第8戦が最後の総監督としてのサーキットだった。

「高橋国光氏の訃報に接し、心よりお悔み申し上げます。高橋氏は、ホンダモータースポーツ活動の黎明期にライダーとしてともに世界の舞台にチャレンジして下さった方であり、四輪のレースにおいても四半世紀以上にわたりホンダのマシンで参戦し続け、数多くの勝利をともにあげてきました。高橋氏の存在はホンダにとってだけではなく、すべてのモータースポーツ関係者にとって宝そのものだと思います。これまでの多大な功績に対して、心より感謝申し上げます」と本田技研工業の三部敏宏代表執行役社長はコメントを残した。

 世界GPでヨーロッパを訪れた際にその文化に触れ、日本のモータースポーツの発展を願い、大きく貢献してきた国さん。心からの感謝とともに、哀悼の意を表します。

2018スーパーGT第8戦もてぎ 決勝
スーパーGT2018年GT500クラスチャンピオンを獲得したRAYBRIG NSX-GTの山本尚貴とジェンソン・バトンと高橋国光総監督
TEAM KUNIMITSUの総監督としてスーパーGTを戦う高橋国光総監督
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萩生田光一文部科学大臣から顕彰状を受け取る高橋国光総監督
萩生田光一文部科学大臣から顕彰状を受け取る高橋国光総監督
1999年JGTC第7戦もてぎ 高橋国光のレーシングドライバーとしての引退レースで、JGTC史上初の引退セレモニーが行われた。
1999年JGTC第7戦もてぎ 高橋国光のレーシングドライバーとしての引退レースで、JGTC史上初の引退セレモニーが行われた。
1994年ル・マン24時間に挑んだクレマー・ホンダ・レーシング/クニミツ(高橋国光/土屋圭市/飯田章)
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1993年JTC 高橋国光/土屋圭市組スカイラインGT-Rは、シリーズ屈指の人気を誇った。
1993年JTC 高橋国光/土屋圭市組スカイラインGT-Rは、シリーズ屈指の人気を誇った。
1969年日本グランプリでの 高橋国光/都平健二組ニッサンR382。カーナンバー23をつける。
1969年日本グランプリでの 高橋国光/都平健二組ニッサンR382。カーナンバー23をつける。
1961年に、二輪ロードレース世界選手権の250ccクラスを戦った高橋国光総監督
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