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国内レース他 ニュース [PR]

投稿日: 2021.10.29 07:50
更新日: 2021.10.29 07:55

RECARO RACING TEAM 戦いの流儀。『小暮卓史&脇阪寿一 スペシャル対談 Part.1』 ふたりとRECAROとの絆

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国内レース他 | RECARO RACING TEAM 戦いの流儀。『小暮卓史&脇阪寿一 スペシャル対談 Part.1』 ふたりとRECAROとの絆

 レカロジャパンが、自社のレーシングチームを発足して3年。今年も佐々木孝太、井口卓人、小暮卓史の3人のプロドライバーとともに、国内でもっとも過酷なワンメイクレースと称される86/BRZレースに参戦している。

 10月16日〜17日の2日間にわたり岡山国際サーキットで開催された第9戦と第10戦には、レカロのチームカラーを纏ったマシンが、プロクラスからクラブマンまでを含めると8台。これは参戦するチームのなかでもまれに見る最大規模であった。

「このレースのコンセプトは、誰もが気軽にエントリーできる参加型モータースポーツ。とはいえ、参加する各チームやドライバーのレベルが信じ難いほど高く、結果を求めると費用もかなりかかります。ともに戦う仲間が増えれば、より多くの情報を共有できますし、費用負担もかなり軽減できます」

「このチームには、プロとジェントルマンのドライバーの両方がいて、プロのレースメカニックやディーラーから派遣されたメカニック、レカロの正規取扱販売店から手伝いで来てくれているメカニック、さらにこれからレースを学びたいというスタッフもいます。こういう体制でレース活動をすることで、より多くのことを学ぶことができるし、何より楽しいです」とチーム監督のレカロ前口光宏氏は言う。

 チーム発足のきっかけは、脇阪寿一であった。2016年に寿一がスーパーGT500を引退。その年のシーズンから86/BRZレースに参戦すると連絡が入る。シーズン前のテストに駆けつけるも、当時のレカロのラインアップには、競技用かストリート用かの二択しかなく、プロドライバーがナンバー付車両でレースをするということを想定したモデルは、存在しなかった。

 それからすぐにレカロは、公道も走れる本格的なレーシングシートの開発に着手する。寿一や他のプロドライバーらのアドバイスのもと2018年からレカロRMSというモデルが発売となり、瞬く間にレースの現場で高い評価を得ることになった。そのとき、レースの現場でもっと学ぶべきことがあると考え、チーム発足の話が進んだ。翌年、寿一プロデュースのもとレカロレーシングチームが発足した。

 初年度からチームのステアリングを握ったのは佐々木孝太。翌年から井口卓人が加入。そして今年の第4戦SUGOから小暮卓史が加入することになった。レカロが小暮とチーム加入の交渉を始めたのは、小暮が長年牽引してきたスーパーGT500を降りた2019年の秋。そこからこの86/BRZレース参戦まで1年9ヵ月という年月を費やした。

「小暮さんに会って、チーム加入と86/BRZレースへの参戦を打診したとき、最初は素直にこのレースに興味を持っていただきました。ありがたい話とも言ってくれました。でもしばらくして、このレースの難しさを知ったとき、もし不甲斐ない結果しか出せなかったときに、これまでレース人生で自分がお世話になってきた方々をがっかりさせてしまうのではないか、チームにも迷惑をかけてしまうのではないか、純粋にこのレースをしてみたいという気持ちだけでは駄目なのではと、すごく悩んでいました」

「それから何度か会って、何時間も話をして、実際にチームのテストにも参加してもらいながら、小暮さんの気持ちが自然と固まっていくのを待つことにしました。そのとき確信したことがひとつあります。小暮卓史という人は、レースをする以上、それがどんなカテゴリーであれ、トップを目指すことしか知らない良い意味で不器用な人なんだと。国内の頂点を極めた実績をもつスーパースターはやはりこういう人なんだと感じました」

「タイプは違うのかもしれませんが、寿一さんと小暮さん。頂点を極めた人にしかない共通したものを強く感じました。よりいっそう、佐々木、井口、そして小暮、この3人でレースがしたいと願いました」と前口氏。

 脇阪寿一、小暮卓史といえば、間違いなく日本のレース史にその名を残すドライバーだ。全日本F3では寿一が1990年代最後(1996年)の、小暮は2000年代最初(2002年)の「日本人チャンピオン」という称号を持ち、その後はともに国内最高峰フォーミュラで勝利をおさめた。また、純粋な速さに加えて強さや器用さが求められるGT500では寿一が三度、小暮が一度タイトルを獲得した。

 当時のふたりは、全身に緊張感が満ちあふれていた。とくにGT500を戦っていたときの寿一はひとたびサーキットに入ると近寄りがたいオーラを放ち、小暮も「僕ら世代の憧れで、目標でもあった存在。現場での寿一さんは殺気が漂っていて気軽に話しかけられなかった」と明かす。

 そんなふたりは現在、多くのトップドライバーがしのぎを削る86/BRZレースのプロクラスで戦っている。ところが、日本の頂点を極めた彼らをもってしても、このレースではトップ争いに絡むことができていない。寿一、小暮ほどのドライバーが苦戦を強いられることに納得できず、それぞれのファンからは「なぜ?」と問われることも少なくないという。

* * * * * *

 『小暮卓史&脇阪寿一 スペシャル対談 Part.2』では、ふたりだからこそ分かり合える86/BRZレースの難しさについて語り合ったスペシャル対談をお届けします。

10月16日、17日に岡山国際サーキットで開催された第7大会(第9戦、第10戦)においては、28台のマシンがプロフェッショナルシリーズに出場。
10月16日、17日に岡山国際サーキットで開催された第7大会(第9戦、第10戦)においては、28台のマシンがプロフェッショナルシリーズに出場。

10月29日発売 autosport No1563
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10月29日発売 autosport No1563より転載


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