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F1 ニュース

投稿日: 2023.12.16 13:17
更新日: 2023.12.16 14:48

ジャンカルロ・フィジケラが独占告白。フェルナンド・アロンソの陰でNo.2に徹したルノーF1時代を語る

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F1 | ジャンカルロ・フィジケラが独占告白。フェルナンド・アロンソの陰でNo.2に徹したルノーF1時代を語る

 17年前、あなたはどこで何をしていただろうか?決して長くはないが短くもない時間……ただ、スポーツの分野で考えると17年はとても長く、まずそれほど長い年月を現役選手であり続けるのは容易なことではない。

 フェルナンド・アロンソは17年前の2006年に2度目のF1タイトルを連覇するかたちで獲得した。今も現役で走り続けているアロンソ、ちなみに2023年シーズンを戦った現役F1ドライバーのなかで、2006年のアロンソ戴冠を『F1ドライバー』の立場から目の当たりにした者はいない。ルイス・ハミルトンでさえ、デビューするのは翌2007年、いかにアロンソの現役生活が常識を超越する長さかといえる所以だ。

 2001年でデビューし、2003年に初優勝、2005年に初タイトルと順調すぎるF1キャリアをスタートさせた若き日のアロンソ。ただ、所属チームのルノー関係者も、彼が将来のチャンピオン候補であることは理解していても、すぐに覚醒するとは思っておらず、着実に実績を踏んでいく過程でチームのリーディングドライバーは別に立てて戦うプランでいた。その存在が2005年からアロンソのチームメイトに抜擢されたジャンカルロ・フィジケラだった。

 ルノーに加入した時点のフィジケラは、優勝回数こそアロンソと同じ1勝だったが、キャリアとしてはアロンソより5年長く、それまで所属してきたチームでは常にエース格の活躍で実績は十分。まだ比較的実戦経験が浅いアロンソを引っ張る存在として、フィジケラのポテンシャルを当時のルノー関係者たちは高く買っていたようだ。

 しかし、史実を知っている人たちならお分かりのように、フィジケラはアロンソのNo.2に甘んじた。これはフィジケラがどうこうと言うよりも、チーム関係者たちの想定を超える早さでアロンソが急成長を遂げたと言った方が正しい。

 ルノーの前身はベネトン、英国エンストンに拠点を構えるこのチームは、ミハエル・シューマッハーが所属していた時代以外に選手権争いをした経験はなく、その時もチームの考えは一貫していた。それが『絶対的No.1体制』。ふたりのドライバーを自由に戦わせて共倒れするリスクをさけるために、完全にエースとNo.2の立場を決めて戦った。それだけにアロンソの完全覚醒を目の当たりにしたチームが、フィジケラにNo.2の役割を担うように仕向けたのは自然な流れだった。

 それまでのキャリアで常にエース格として戦ってきたフィジケラにとって、この要望を受け入れることは非常に困難だったであろうことは容易に想像がつく。しかし、フィジケラはチームのためにNo.2ドライバーの役割を受け入れる覚悟を見せた。葛藤はあったが、すでに32歳、ベテランの域に差し掛かっていたからこそ、彼は大人の対応と選択ができたのかもしれない。

 毎号1台のF1マシンを特集し、そのマシンを織り成す様々なエピソードを紹介する『GP Car Story』最新刊のVol.46では、アロンソの連覇を後押しし、F1の歴史の流れを大きく変えるきっかけを作ったルノーR26を特集。

 このページでは、現在発売中の最新刊『GP Car Story Vol.46 ルノーR26』に掲載されるジャンカルロ・フィジケラのインタビューを特別に公開。このインタビューのなかでフィジケラはプロに徹した心情を語っている。そして、悔いのないF1人生であったと自らのキャリアを振り返った。アロンソとルノーのダブルタイトル連覇に大きく貢献したフィジケラのインタビューをお届けする。

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■最高だった2年間

──2005年にフェルナンド・アロンソが自身初のチャンピオンシップを制し、翌2006年も連覇しました。あのシーズン、最も印象に残っていることは何ですか?

「特に2005年から最高のシーズンだった。フェルナンドがドライバーズタイトルを、同時にコンストラクターズタイトルも獲得できた。マシンは2005年から着実に進化しており、シーズン開幕当初に得たフィーリングは前年と同じだったんだ。とてもコンペティティブで、チャンピオンシップを狙えると確信したよ。開幕から仕上がっていて私も第2戦のマレーシアで優勝できたし、前年に続いて本当に良いシーズンを送れたんだ」

2006年F1マレーシアGP ルノーでの2勝目を飾ったジャンカルロ・フィジケラ
2006年F1マレーシアGP ルノーでの2勝目を飾ったジャンカルロ・フィジケラ

──V8エンジン初めてのシーズンであり、V10からの移行は大きなステップだったと思います。ルノー・チームはV8移行とともにギヤボックスを6速から7速に変更しました。

「V8になってギヤボックスも変更した方がいいとなり、7速にしたんだ。V8エンジンを考えてうまく歩み寄れ、正しい選択だったと思う」

──あのシーズン最大の話題はマスダンパーでした。マシンに装備した結果、うまく機能したのですか?

「もちろんだ。特に縁石を乗り越える時の挙動が改善された。マシンをコントロールしやすくなったし、快適になった。装備してよかったよ。オフにテストを繰り返し、さらに改善したうえで実戦投入できたんだ」

──バーレーンのレースでは油圧トラブルに見舞われ、数少ないリタイアのうちの1回となりました。

「開幕戦でエンジントラブルが発生したことは、確かに喜ばしくはなかった。そのせいで少し信頼性に不安を感じたんだ。ただ、その後、問題はまったく起こらなかったし、パフォーマンスと信頼性が非常に優れたパッケージに仕上がっていたよ」

2006年F1バーレーンGP 開幕戦からのリタイアとなったが次戦マレーシアでは優勝を飾ることになった
2006年F1バーレーンGP 開幕戦からのリタイアとなったが次戦マレーシアでは優勝を飾ることになった

──マレーシアはポール・トゥ・ウインでしたが、あのときはチャンピオンシップを狙える、アロンソに勝てるかもしれないと思ったのではありませんか?

「確かに私は自信満々だった。シーズン序盤のマレーシアで勝てたのは本当にうれしかった。マシンの仕上がりもよく、快適にドライブできたしね。フェルナンドと競い合えると期待したけれど、その後、いくつか問題を抱え、結局、彼を脅かすほどのポイントを稼げなかった」

──続くオーストラリアではグリッド上でエンジンがストールし、ピットスタートを強いられました。あの段階ですでに、あなたの勢いは削がれかかっていたのでは?

「スタートでエンジンストールとか、何らかのトラブルでレースを諦めなければならないのはもちろん辛い。同時に、チャンピオンシップポイントも取りこぼしてしまうことになる。残念ながらそうなった時、ドライバーは何も為す術がないんだ」

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