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F1 ニュース

投稿日: 2022.12.17 12:23
更新日: 2022.12.17 12:29

F1の歴史を変えたブラウンGP。悲願の王者を獲得したバトンが振り返るジェットコースターのような日々

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F1 | F1の歴史を変えたブラウンGP。悲願の王者を獲得したバトンが振り返るジェットコースターのような日々

■ピットワークの賜物

──開幕戦オーストラリアGPで見事に優勝を挙げると、第2戦マレーシアGPも制し2連勝。雨で短縮されたレースでしたが、その時点で最速マシンを手にしていることが明らかになりました。

JB:メルボルンの週末は金曜のフリー走行から好調だったけれども、期待していたほどではなかった。それが土曜の予選では断トツの速さで、ライバルを蹴散らすことができた。でも、レースでは決して楽勝という感じではなく、セブ(セバスチャン・ベッテル)と(ロバート)クビカが残り2周で接触したことが大きかった。だから、簡単に勝てたわけではないんだ。そもそも僕は、(マックス)フェルスタッペンが2022年シーズンで見せていたようなぶっちぎりの勝ち方というものは、ほとんど経験したことがない。どのレースでも着実にラップを重ねていたら、いつの間にか勝っていたという感じに近いんだ。

 チームがミスを犯さず、メカニックたちが信じられないような働きを見せてくれたおかげだよ。冬の間にピットストップの練習ができなかったことを考えると、まさに奇跡に近い出来事だと思う。特に、シーズン前半はほぼノーミスだったんじゃないかな。対するライバルチームは、どこもミスしていたと記憶している。だから、僕たちは必ずしも最速というわけではなかったけれども、かなり高確率で勝ち続けることができて、シーズン序盤に大量のリードを築くことができたんだ。

──ダブルディフューザーを装着していたことは、シーズン序盤の戦いでどれくらい優位に働いていたと思いますか。

JB:その件については、もう嫌というほど語られているよね。でも、ダブルディフューザーの抜け穴を見つけたのは、実はホンダの日本人エンジニアだったんだ。でも、ウイリアムズやトヨタもダブルディフューザーを採用していたから、思いついたのは彼だけではないことは確かだ。ひとつ言えることは、ダブルディフューザーにみんな気を取られすぎだったということだ。見かけに惑わされたと言えばいいのかな。BGP001はマシンパッケージとしてもよくできていて、ダブルディフューザーはその一部を成していたから、とにかく効果てきめんだった。

■タイヤの温度管理に苦しむ

──第7戦トルコGPを終えた時点であなたは6勝を記録し、チームメイトのルーベンス・バリチェロに26点差をつけてドライバーズ選手権をリードしていました。ランキング3位のベッテルとは32点差です。当時の優勝は10ポイントだったので、大量リードと言ってもいいシーズンの展開でしたが、その一方でチームの資金が底を突き、もうこれ以上の開発が難しいという状況に陥っていました。あなたとチームはこうしたハンデをどうやって克服しようとしていたのですか。

JB:そう、文字どおり資金は全然なかったんだ。トルコへは格安航空のイージージェットで行ったくらいだからね。そして、トルコGPでの優勝がシーズン最後の勝利となってしまった。素晴らしいレースだったけどね。フィニッシュラインを超えた時に無線で思わず、『みんなのおかげでモンスターマシンに変身したぞ!』と叫んでいたよ(笑)。

 ただ、その後は完璧だったマシンが気がつくと、坂を転げ落ちるように戦闘力を失っていってしまった。翌戦のイギリスGPでは予選6位につけるのがやっとだったからね。もともと足りなかったマシンの開発予算がついに底を突き、タイヤの性能をうまく使いこなせないという問題に直面した。マシンに装着されるパーツはだいたい6、7レースで新しいものに切り替わり、その開発には最低でも3カ月は必要だ。ところが、僕らは開発はおろか資金不足で、次のレースに行けるかどうかも分からないような状況だったんだ。

 でも、あとになってからロスがシーズン中の開発に投資しなかったのは、翌シーズンに向けてできる限り開発資金を取っておきたかったからだということが分かった。チームを継続するためには仕方なかったんだろう。さらに大きな問題としては、必要不可欠なパーツを作るにしても風洞なしでやらなければならなかったということだ。聞けば、かれこれ3カ月も風洞施設を利用していなかったらしい。それでは勝てるわけがないと思ったよ。だから、序盤に築いた大量のリードがあって本当にラッキーだった。そうでなければ、タイトル獲得なんて絶対にできなかっただろう。

2009年のF1ワールドチャンピオンに輝いたジェンソン・バトンとロス・ブラウン(ブラウンGP)
2009年のF1ワールドチャンピオンに輝いたジェンソン・バトンとロス・ブラウン(ブラウンGP)

──主に、どんな部分で苦しんでいたのですか。

JB:僕にとっての問題は、タイヤの温度管理だった。シルバーストンやバレンシア、スパ・フランコルシャンのようなサーキットでは、タイヤを適正な温度まで上げられなかったんだ。僕はスムーズなドライビングスタイルが信条で、それはすべてのキャリアを通じて言えることだ。必要に応じてアグレッシブにドライブもしたけど、基本的には自分には合わないと感じていた。だから、タイヤの温度を上げられない状況でドライビングするのは厳しかったよ。

■ベストレースはモナコGP

──あなたはトルコGP以降、未勝利に終わりましたが、チームメイトのバリチェロはヨーロッパGPとイタリアGPで優勝を挙げ、ベッテルも2勝を挙げてポイント差を縮めてきていました。どこかで逆転されるのでは……と不安にはなりませんでしたか。

JB:レッドブルが大躍進を遂げ、状況はますます困難になっていった。シンガポールGPで『僕たちはいったい何をやっているんだ?』と声を荒げてしまったことを思い出すよ。最初の7レースの勢いが、シーズン後半ではまったく逆になってしまっている。何ひとつとしてうまくいかないものだから、思わず無線で『まさかもう諦めてるんじゃないだろうね』と言ったこともあった。

──しかし、その苦しい状況を乗り越え、ブラジルGPで初のワールドタイトルを獲得しました。

JB:その前戦の日本GPで優勝するなどセブは好調だったが、僕は絶不調。しかもブラジルGPの予選では、雨のせいでここぞというタイミングでアタックできず、肝心の場面でタイヤチョイスも間違えてしまった。一方、ルーベンスの作戦は完璧に決まって、ポールポジションを獲得していたんだ。ただ、驚いたことにレッドブルも似たようなミスを犯していて、なんとセブが予選16番手に沈んでいた。あれには驚いたよ。レースを見ている人たちからしたら、これほど面白い展開はなかったんじゃないかな。もし、2009年シーズンを元に映画化するとしたら、まさにうってつけのプロットだろう。最悪の不幸に見舞われつつも、不死鳥のように甦り、最後に栄光を掴みかけたところで、絶体絶命の危機が訪れる……という展開だからね。

 レースでは僕もセブもずいぶんポジションを上げたが、彼の方はその挽回が十分ではなく、逆転タイトル獲得の望みが潰えてしまった。僕がフィニッシュラインを超えた瞬間、ワールドチャンピオンが確定したんだ。そのときに押し寄せてきた感情は、何とも言いがたいものだった。10カ月前は誰ひとりとして、僕らの勝利を予想した者はいなかった。そもそもチームの命運さえ定かではなく、シートがなくてもおかしくない状況だったんだからね。そういった状況からの王座獲得だから、感慨もひとしおだった。

2009年のF1ワールドチャンピオンに輝いたジェンソン・バトンとブラウンGP
2009年のF1ワールドチャンピオンに輝いたジェンソン・バトンとブラウンGP

──この年のベストレースを挙げるとしたら、どこになりますか。

JB:どの勝利も素晴らしいが、モナコGPの優勝はやはり特別だ。予選では好調だったキミ(ライコネン)を僅差で退けて、僕がポールポジションを獲得した。レースでは3番グリッドにつけたルーベンスがスタートダッシュを決めてキミをかわし、2番手に浮上したのも心強かった。どんなに条件が良くてもモナコGPで勝つのは簡単ではないが、僕らは抜群のチームワークを発揮した。ノーミスでレースを進め、ピットストップも完璧にこなして1‐2フィニッシュを達成したんだ。チームにとっても、素晴らしい勝利だったよ。

 でもうれしさのあまり、実はレース後に失敗を犯しているんだ。すっかり舞い上がっていつもどおりの場所にマシンを停めたら、上位3台はロイヤルボックスの前に行くんだと注意された。だから、慌ててマシンを降りて走ったよ。ルーベンスとキミはすでにそこにいて、アルベール大公と並んで僕を待っていた。ふたりはどこにマシンを停めるのか知っていたんだ(笑)。今となっては、それも良い思い出だけどね。

2009年F1モナコGPを制したジェンソン・バトン(ブラウンGP)
2009年F1モナコGPを制したジェンソン・バトン(ブラウンGP)
2009年F1開幕戦オーストラリアGPを制したジェンソン・バトン(ブラウンGP)
2009年F1開幕戦オーストラリアGPを制したジェンソン・バトン(ブラウンGP)

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『GP Car Story Vol.42 ブラウンBGP001』では、今回お届けしたバトンのインタビュー以外にも見どころ満載。このチームを語るうえでバトンと同じく絶対に外せないのが、チーム名にもなっているロス・ブラウン。そのロングインタビューは、10000字の超大作。

 そして、何と言ってもダブルディフューザーを始めとした空力開発がブラウンGPの成功に直結したことは間違いなく、そこにホンダがしっかり関わっていた事実を、現在も同社に在籍する真塩享氏が証言。さらにブラウンに属してた日本人空力技術者の田中俊雄氏による、チーム側から見た空力開発もあり、双方の証言を比較できるのはおそらく世界で今号だけの特集だけなので必読だ。

 ブラウンは現メルセデスの前身チームゆえに今も当時のスタッフが多く在籍しており、空力担当だったジョン・オーウェン、バトンのレースエンジニアだったアンドリュー・ショブリン、戦略エンジニアのジェームス・ボウルズ、チームマネジャーだったロン・メドウズといったキーマンたちのインタビューも掲載。それぞれの立場でいかにしてブラウンGP立ち上げに関わり、そして苦しいシーズンを戦い抜いたか、きっとあなたが知らなかったエピソードばかりのはず。

 もちろん、バトンの僚友ルーベンス・バリチェロや、バトンと最後までタイトル争いを繰り広げたセバスチャン・ベッテルのインタビューのチェックもお忘れなく。『GP Car Story Vol.42 ブラウンBGP001』は現在発売中。全国書店やインターネット通販サイトにてお買い求めください。内容の詳細は三栄オンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=12623)まで。

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