100周年記念展示のル・マン博物館は連日大盛況。入り口も大渋滞です。
展示物の中には100周年記念トロフィーも。左に1923年の優勝トロフィー、右は2022年の優勝トロフィーです。
ドライバーオフィシャルフォトタイムに現れた100周年記念トロフィー。箱は例年とは異なりルイヴィトンではないようです。
ブロンズ製の1.5メートル、重量は不明ですがかなり重そうです。二重螺旋構造ということもあり男2人がかりでの運搬がやっとの様子。
100周年記念トロフィーへの名前の刻印は表彰台でフランス造幣局の職員によって行われました。
ケースにはこのように収納されます。トロフィーの形にくり抜かれた発泡ウレタンによって大切に保管されます。
ル・マン博物館横のオフィシャルショップには100周年記念トロフィーのレプリカが登場。本物と同じくフランス造幣局による製造で300個限定、450ユーロ(約6万8000円)。ずっしりと重たい造りです。
ル・マン博物館の倉庫には来年から登場予定のLMDhカー、BMW MハイブリッドV8の姿が。頭隠して尻隠さずのあなた、YOUは何しにル・マンへ?
公開車検時の発行の新聞にはセキュリティ強化の見出しが。スタート時のコースサイドにも自動小銃を携帯した兵隊さんが警戒にあたっていました。
35万人が来場した100周年記念ル・マン24時間。スクーターに専用ステッカーを貼ることで移動が可能になります。
チームウェア、パソコン、無線機、バナナ等何もかもが放置された、決勝6時間後のメディアセンターのフェラーリ広報デスク。
レースが終わり絶賛搬出&お片付け中のピット。そこら中に壊れたクルマ、内臓系の部品が転がっています。
車検場では決勝後の再車検が行われています。撮影時はプジョーが燃料タンク容量チェックを受けていたと思われます。
24時間レースの激闘を物語る708号車グリッケンハウス007のフロントカウル。レース終盤、インディアナポリスの立ち上がりで回ってしまったときのものでしょうか。
35万人が来場したル・マン24時間。やり散らかしたファンゾーンも絶賛片付け中です。2022仕様のプジョー9X8、フォーミュラEの展示車両などがバリバリ片付けられていきます。
LMGTEアマクラスで戦ったケッセル・レーシングの2台のフェラーリ488 GTEエボ。日本人頑張りました。
横溝直輝/辻子依旦/ケイ・コッツォリーノ組74号車は、レース途中から57号車の右ドアを借りての走行に。全日本GT選手権の2002年最終戦鈴鹿の16号車無限NSXを彷彿とさせます。
メカニカルトラブルでリタイアとなったDステーション・レーシングの777号車アストンマーティン・バンテージAMR。カーボン地剝き出しのLMGTEはマッシブで迫力満点。
そのLMGTEアマクラスで優勝し、カテゴリーとしてもコルベットC8.Rとしても有終の美を飾った33号車。驚くほどに無傷で美しい状態です。
有終の美を飾った33号車コルベットのルーフには、ハイパーポールの盾と優勝トロフィー、そして月桂樹が星条旗カラーのハットとともに飾られていました。
昼食時の12時にエアーホーンを鳴らすのがコルベットレーシングの伝統。この日ばかりはエアーホーンとともにメカニックの勝利の雄叫びがサルト・サーキットのピットに響き渡る。周りは拍手と歓声に包まれます。
またしても“現場猫”的案件が横行するル・マンのピット。ご、ご安全に……
今回の遠征時に別案件でオランダにて撮影した、1970年のトヨタ7ターボ、川合稔車。富士1000kmでのデモラン時のまま1974年にこの地に運ばれ長い眠りについています。この模様は三栄発行『レーシングオン』誌で掲載予定。オランダと日本の間の深い絆の物語です。
パリではル・マン24時間の珍車、アルデックスBMW S80を撮影。こちらもレーシングオン誌の次号“ル・マン24時間特集”にて、開発者であるドクター・ソルド―氏のショートインタビューとともに掲載予定。
ル・マン在住のミニカー愛好家、ペドロさん。ミニカー保有台数3000台を誇る生粋のモデラ―。“ミスタール・マン”寺田陽次郎さんに息子を抱いてもらったこともあるそう。重篤な“ル・マン病”に感染している情熱的でいい方です。