MLとは当時、ホンダ、無限、童夢が開発に関与していたF3000級のスタディマシンで、MLはツインリンクもてぎライツ、無限ライツ、あるいはメジャーリーグの略称ともいわれた。そのMLの件を含め、脇阪はツインリンクもてぎのオーバルをかなり走り込んでいたようだ。
「僕、インディライツのチャンピオンにも負けてなかったんですよ」
流れ次第ではアメリカ挑戦という可能性もあったかもしれない。
ツインリンクもてぎロードコースは「好きなコースですし、僕の乗っていたマシンや僕のドライビングに合っていたんだと思います。テンポが分かりやすいし、こう走るべき、というのも分かりやすいですね」
さらにはこんな面もあったという。「自分は不安になるとブレーキ重視になりすぎるところがあるんですが、もてぎはブレーキも大切だけど、実は立ち上がりでアクセルをどれだけ早く踏めるかが重要でもある。自分のドライブが行きすぎた時には、それを修正してくれるコースでもありました」
そして脇阪は、ツインリンクもてぎに対してこんな言葉を贈る。
「もてぎの誕生によって日本におけるメインコースがひとつ増えたわけですから、攻めるコーナーも増えて、それだけドライバーは技量と経験値を増すことができたんです。『ありがとう』ですし、『これからもよろしく』ですね」
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