HRC開発ライダーの青山博一が、サイクリング中の交通事故で亡くなったニッキー・ヘイデンとの思いでを振り返った。
青山とヘイデンが初めて出会ったのは、2003年の鈴鹿8時間耐久ロードレースのテストだった。この年、ヘイデンはレプソル・ホンダ入りし、MotoGPにデビュー。方や青山は全日本ロードレース選手権のGP250クラスを走っていた。
「鈴鹿で初めて会った印象は“でかいな”という感じでした」と青山は当時を振り返った。
「最初からフレンドリーな笑顔であいさつしたのを覚えています。ニッキーとは、同い年なんですが21歳で、すでにMotoGPを走っていましたから、僕も速く世界に行きたいと思っていましたね」
「このとき青木拓磨さんもいて『同い年なのに負けてられないな』と言われたのを覚えています。結局、ニッキーには追い付くことはできませんでしたが、この年、全日本チャンピオンを必ず獲って世界に行くんだ、というモチベーションになりましたね」
ヘイデンと出会った2003年、青山は全日本チャンピオンを獲り、2004年からロードレース世界選手権(MotoGP)250ccクラスにフル参戦。2009年には世界チャンピオンを獲り、2010年にヘイデンと同じMotoGPクラスの舞台に立った。そして2014年には、アスパー・チームでチームメイトとなる。
「同じマシンに乗っていたので、一番身近なライバルでしたし、負けたくない気持ちも強かったのですが、お互いをリスペクトした関係でした。お互い正々堂々とベストを尽くそうという意味でレース前にはいつも『have a good one !(いいレースをしようぜ!)』と声をかけてくれましたね。そのシーズンでボクはチームを離れることになるのですが、ニッキーは『来年はどうするんだ? 大丈夫か?』と気にかけてくれていました」
青山がヘイデンの事故を知ったのは、チームのプレスリリースだったという。その後、メディアの報道でヘイデンが厳しい状況に置かれていることは分かっていた。