2004年、ペドロサは250ccにステップアップ。チーム・テレフォニカ・モビスター・ホンダ250から、ホンダRS250RWを駆って参戦した。このときチームメイトだったのが、現在Moto2クラスのイデミツ・ホンダ・チーム・アジアとMoto3クラスのホンダ・チーム・アジアで監督を務める青山博一。ペドロサと青山はプーチの下で指導を受けながら、チームメイトを超えた友情を育んだといわれている。
このシーズン、ペドロサは250ccクラスのデビューレースである開幕戦南アフリカGPで優勝を果たした。12月14日掲載の『現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」/特別インタビュー前編』のなかで、このレースがペドロサにとって“一番うれしかったレース”だと語っている。
その詳細はインタビュー記事に譲るが、前述のとおり2003年オーストラリアGPで両足首を骨折したペドロサは、125ccマシンから250ccマシンへの乗り換えに重要なオフシーズンを、満足な形で過ごせなかったという。そんななかで上がった表彰台の頂点だった。ペドロサはこの年、全16戦中7勝を挙げ、実に13度もの表彰台を獲得。250ccクラス初年度にしてタイトルを手にした。
翌2005年も250ccにとどまったペドロサ。このシーズン、同クラスにはケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソ、アンドレア・ドヴィツィオーゾといった、現在もMotoGPで活躍する顔ぶれがそろっていた。ペドロサはこの年8勝を挙げ、アプリリアのストーナーが5勝。ほぼこのふたりで星を分け合う形となったが、全16戦中11戦で表彰台に上ったペドロサが250ccクラスで連覇を果たした。
そして2006年、ペドロサはロードレース世界選手権最高峰クラスである、MotoGPクラスにステップアップすることになる。
ダニ・ペドロサ 2001年~2005年リザルト
シーズン | クラス | 参戦数 | 優勝 | 2位 | 3位 | 表彰台獲得数 | ポール | バイク | ポイント | ランキング |
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2001 | 125cc | 16 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | Honda | 100 | 8 |
2002 | 125cc | 16 | 3 | 3 | 3 | 9 | 6 | Honda | 243 | 3 |
2003 | 125cc | 14 | 5 | 1 | 0 | 6 | 3 | Honda | 223 | 1 |
2004 | 250cc | 16 | 7 | 5 | 1 | 13 | 4 | Honda | 317 | 1 |
2005 | 250cc | 16 | 8 | 3 | 0 | 11 | 5 | Honda | 309 | 1 |