オープニングラップを終えた時点で10番手に浮上、2周目に入る時点でジャック・ブラバムの後ろに迫っていた。1周目のリタイアは2台。悪コンディションのなかでここまでポジションを上げるのに、クラークは恐ろしいほどのリスクを冒したに違いなかった。
3周目にさらにふたつポジションを上げ、上位グループが見えてくる。ポジションが上がるにつれて、バトルの相手はより手ごわくなってくるが、それでも6周目の終わりには5番手となり、トップ4との差を縮め始めた。レースをリードするヒルとの差は34秒だ。
7秒前のブルース・マクラーレンを2周後に抜き、4番手に浮上、クラークはトップ3のドライバーたちよりも1周5秒も速いタイムで走り続けた。ウエットコンディションでそれほどのスピードで走ることにはとてつもないリスクが伴う。しかもそこはノルドシュライフェなのだ。しかしクラークは自身がスタート時にミスを犯したことへの怒りに燃え、挽回することしか頭になかった。
15周のレースの10周目、トップグループとのギャップは14秒まで減っていた。勝利をかけて接近戦を繰り広げているトップ3に追いつくのも時間の問題と思われたが、クラークはふと我に返った。そこに至るまで何度も高速スライドを繰り返したにもかかわらず、続行できたのは、彼自身のスキルもあったが、ある程度の運もあった。自分がどれほどリスクを冒しているのか気付いた彼は、ペースを落とし、ロータスを無事にチェッカーまで持っていくことに決め、4位でフィニッシュした。表彰台には届かなかったが、それでもスタート直後には予想できないような結果だった。
それまでクラークが才能と勇気を持つドライバーであることに確信を持てずにいた者がいたとしても、あの日のニュルブルクリンクでの10周で、疑いはすべて吹き飛んだはずだ。
ヒルはそのレースを制し、その年のタイトルを獲得した。クラークはランキング2位に甘んじたものの、翌年の1963年、圧倒的な強さを示してチャンピオンとなった。