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F1 ニュース

投稿日: 2021.01.18 11:51
更新日: 2021.01.18 17:38

【特別コラム】角田裕毅、F1ドライバーへの布石。片鱗を見せていた2017年のパフォーマンス

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F1 | 【特別コラム】角田裕毅、F1ドライバーへの布石。片鱗を見せていた2017年のパフォーマンス

 SUGOのあの高速コーナーでマシンを自由に振り回して向きを変え、誰よりも速く駆け抜けていく角田がそこにはいたからだ。その走りは迫力に満ちていたし、何よりも“楽しげ”に見えた。

 JAF F4はご存じの通り日本独自のローカルカテゴリーだが、FIA-F4よりもエンジンのパワーがありデフもあり空力も効くので、言ってみればより上位カテゴリーに近いフォーミュラカーである。それを楽しそうに自由自在に操って走り、当たり前のようにポール・トゥ・ウインを飾る。「なんだ、こいつは⁉︎」とぼくはそのとき初めて角田の才能を見せつけられて頭が混乱したのだった。

 初めての本格的4輪フル参戦シーズンとなった2017年、角田はJAF F4では東日本シリーズ全6戦を戦い、5戦でポール・トゥ・ウインを飾った。また12月には鈴鹿で西日本シリーズにスポット参戦しながら日本一決定戦にも出場、どちらもポール・トゥ・ウインと、ほぼパーフェクトな成績を残した。一方、FIA-F4選手権では14戦中3勝のみでランキング3位に終わった。

 ステップアップの王道として一般的なレース関係者やファンが認識しているのは、自動車メーカー系を含む多くの育成プログラムが関わり、スーパーGTのサポートイベントでもあるFIA-F4なので、表舞台でこの年の角田が特別な話題になることはなかった。だが、分かっている人間たちは水面下で、なんだかとんでもないヤツが出てきたぞとザワついていたのである。

2016年の途中からスポット参戦でFIA F4デビューを果たしていた角田。フル参戦は2017年が初めてであったが、ランキング3位の成績を残している。
2016年の途中からスポット参戦でFIA F4デビューを果たしていた角田。フル参戦は2017年が初めてであったが、ランキング3位の成績を残している。

 ぼくも「こいつはおもしろいな」と思うようにはなっていたけれど、FIA-F4とJAF F4の走りの対比が極端だったことが気になったし、じつはF1参戦を決めた今でも気になり続けている。余計なお世話かとも思うけれど、角田にはふたつの面があるのではないかと感じるからだ。

 ぼくは、JAF F4の角田をコースサイドから走っているところしか見ていないから知らなかったが、後から取材をしてみるとJAF F4のチーム『MYST』で見せていた角田の素顔は、FIA-F4のHFDP時代にぼくが見ていたものとはかなり違ったようだ。

 たとえばサーキットの行き帰り、移動中のクルマでは同期の小高一斗と大声で歌を歌い、チームオーナーである庄司富士夫代表の自宅には別荘代わりで住み着くなど奔放に暮らす一方、サーキットの走り方については、臆することなくひと回りもふた回りも年上の先輩ドライバーをつかまえて教えを請うなどの積極性も発揮したという。それに比べると、FIA-F4時代の角田はどこか縮こまって見えた。

 たしかに角田は翌2018年、FIA-F4シリーズチャンピオンになると2019年にはヨーロッパへ渡り、なんと2021年にF1レギュラードライバーの座をもぎとった。でも今でもぼくは老婆心ながら、ひょっとしたら角田には自分の才能を発揮しやすい環境と、しにくい環境があるのではないか、と心配している。

 誤解されないように言っておくが、角田にとってHFDPが活躍しにくい環境だったというわけではない。昨年の8月に初めてF1テスト走行を経験したときも、直後にHFDPのチーム関係者に現地から報告の電話を入れて喜ばせるなど、今の角田にとって古巣は大事な存在で、その関係はとても良好である。
 
 初年度に居場所を見つけるのに苦労しているように見えたにせよ、2年目にはきっちりシリーズチャンピオンを獲得しているのだから、もしぼくの危惧する通りだったとしても角田がその課題を自力で乗り越える力を持っていることに間違いない。

 ただ、F1に流れる時間は非常に速く、しかも空気はきわめてドライだ。じっくり構えている余裕はないはずで、4輪レースを始めたばかりの頃の角田がそうであったように、スタートから一気に猛然とスパートして結果を残さなければその先どうなるかは分からない。そう思うと、ああ、角田はここまで見通して先を急いでいたのかなと、後付けで納得したりもするのである。

 で、冒頭の話に戻れば、2018年の暮れか2019年の初めかに、ツインリンクもてぎのコースサイドでバッタリ会って、「ヨーロッパでもがんばれよ」と月並みな激励をして以来、ヨーロッパでのレースぶりを直接見てはいなかったので、欧州のチームのなかでどうやってレースをしているのか確かめるため、ぼくはニュージーランドへ足を伸ばしたのだった。

 歩き馴れないプケコヘ・パークのパドックをうろうろしているうちに、角田の姿がようやく見つかった。当初なかなか見つけられなかったのは、外国人のなかにすっかり混じり込んで談笑し、景色に溶け込んでいたからだった。ぼくはそれまで角田がそこまで英語を使いこなせることを知らなかったのだった。

 ああ、これならやっていけるなと力強く感じたけれど、まさかその1年後にF1のレギュラーシートを確保すると予想することまではできなかった。

 レースウィークの終わり、別れ際にこれからオーストラリアへ行く、と言うと角田は「シドニーには大陸からの観光客が大勢いますからコロナには気をつけてくださいよ」と心配してくれた。ぼくはもう、“同胞”というよりは“遠い日本から馴れない場所へわざわざやってきたヤツ”扱いだなと苦笑せざるをえなかった。

カストロール・トヨタ・レーシング・シリーズの現場で会った角田は、ひと回りもふた回りも成長していた。この約1年後、アルファタウリ・ホンダのシートを手に入れることになる。
カストロール・トヨタ・レーシング・シリーズの現場で会った角田は、ひと回りもふた回りも成長していた。この約1年後、アルファタウリ・ホンダのシートを手に入れることになる。


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