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投稿日: 2018.12.25 16:25
更新日: 2018.12.25 16:39

スーパーフォーミュラ王者山本が鉄則を破ってたどりついた頂点。ガスリーに「ボロボロに負けたことで自分を変えられた」

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スーパーフォーミュラ | スーパーフォーミュラ王者山本が鉄則を破ってたどりついた頂点。ガスリーに「ボロボロに負けたことで自分を変えられた」

 2018年の王者が決まる鈴鹿の地に、山本尚貴は“いつもと違う相棒”とともに乗り込んでいた。鈴鹿は山本が得意としているサーキット、さらに開幕戦で勝利した地だ。その開幕で勝ったクルマを気象条件に合わせて持ち込むことがセオリーで、それこそがタイトル獲得への近道だった。

 しかし、レースウイークに入り、金曜日の走行直前の段階になって突如、阿部和也エンジニアから「クルマを変えてきた」と伝えられた。それは5年前に「獲れてしまったタイトル」とは違うアプローチだった。

「もともとセクター1は速いけど、セクター3で失う部分が多かった。それはクルマが悪いのか、ドライバーがイケてないのかが阿部さんも僕も分からなかった。僕自身苦手なのかなとも思っていた」

 もともとオーバーステア傾向の強かった山本のマシンは、よく曲がることでセクター1の速さをモノにしていた。しかし、それは同時にセクター1、セクター2でリヤタイヤを酷使するセッティングでもあった。

 最終戦に持ち込まれたのは懸念であったセクター3に照準を合わせたアンダー傾向のマシン。いつもの感覚とは違う。大好きなセクター1では物足りなさも感じた。しかし、タイムシートを見ると、苦手と感じていたセクター3が人並みのタイムで走れるようになっていた。

「もちろん僕が乗って感じたフィーリングは伝えて、リクエストはしましたよ。一番速かった時期に比べると、セクター1だけで言えばタイムは落ちている。でもそのリクエストを鵜呑みにしてセッティングを変えてしまうと、せっかく考えてきたものがダメになると阿部さんは分かっていた。だから聞いたところであまり変える気はなかっただろうし、逆に僕がそう言ってくるだろうって予想できてたんでしょう。阿部さんとしてはしてやったりの部分はあったかもしれない」

 絶大な信頼を置いている阿部エンジニアとは8年前に初めて出会った。当時、ナカジマレーシングでエンジニアとして駆け出しだった阿部エンジニアと山本はコンビを組む。たった一年だけだったが、そのエンジニア力に魅力を感じていた。

 翌年、山本はチーム無限に移籍するも11年、12年と苦戦が続いた。そんなとき再び阿部エンジニアと組みたいと自ら懇願したのだ。阿部エンジニアがチーム無限に移籍し、ふたりは再びタッグを組むと、いきなりタイトルを手にした。それが2013年のことだ。

 それから5年、苦楽をともにしてきた阿部エンジニアが、もう一度タイトルを獲るために「なんとかセクター3を速く走れないか」と考えて持ち込んでくれたマシン。これまで苦手としていた部分をプラスに転じてくれるセットとどう向き合うか考えた。そして、自分のドライビングをよく理解したうえでセッティングを変えてくれたマシンなら「自分が何かを変える必要はない」と、あえてドライビングは変えずに走ることにした。

 そのドライビングも、自分はオーバーステア傾向が好みかもしれないと気づいたのはつい最近のことだ。

「去年の中盤からもしかしたらと思いはじめて、今年とくに実感しました。去年、ピエール(ガスリー)が中盤戦以降うまくいっていたときに、彼のクルマに魅力を感じました。でもいきなりそこに合わせる勇気はなかった。ただ一度だけ、SUGOでピエールのセットにして走ったときに全然乗れなかったんです。彼が速く走れるセットだと、僕はうまく走れない。それが最初のヒントでした。さらに今年スーパーGTでジェンソン(バトン)と組んだことで、自分のスタイルがはっきりと理解できたんです」

 2010年からトップフォーミュラを戦うようになって9年。山本はいつしかステアリングを切らなくても、勝手に曲がっていくクルマを求めるようになっていた。そのことに気づかせてくれたのは、海外から来たふたりのドライバーだった。

山本尚貴が絶大な信頼を置く阿部和也エンジニア
山本尚貴が絶大な信頼を置く阿部和也エンジニア

■ピエール・ガスリーに負けた2017年


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