2018年シーズンからホンダは新しい体制をスタートさせた。テクニカルディレクターを新たに設置し、その初代テクニカルディレクターとして田辺豊治が就任した。
2017年までF1プロジェクト総責任者のポジションにいた長谷川祐介氏と入れ替わるような形での就任だったが、田辺TDは長谷川氏と交代したわけではない。テクニカルディレクターは現場の指揮に専念するために設けられたポジション。これまで以上に現場に力を入れようとする意思が感じられる体制変更だ。そして、その期待に田辺TDはこれまでのところ、十分応えている。
その理由のひとつは、田辺TDには豊富な現場経験の持ち主だったことだ。1990年から1992年までのマクラーレン・ホンダ時代では、ゲルハルト・ベルガーのエンジン側のレースエンジニアとして3つの勝利を手にした。
92年を最後にホンダが一時F1活動を休止すると、アメリカのインディカーのレースエンジニアとして活躍。ホンダが第3期F1活動を開始すると、2003年からF1のレースエンジニアに復職。2006年にはジェンソン・バトンのレースエンジニアとして、ハンガリーGPで優勝を経験した。これはホンダのF1活動において、最後の勝利でもある。
2008年限りでホンダがF1から撤退すると、一時、量産エンジンの開発へ回るが、13年からアメリカでインディカーを戦うホンダ・パフォーマンス・ディベロップメントのシニア・マネージャー兼レースチーム・チーフエンジニアに就任。17年には佐藤琢磨と共にインディアナポリス500マイルレースを制した。
田辺TDは豊富なレース活動経験者というだけでなく、さまざまな成功体験を持つ、ホンダの中でも数少ないエンジニア。だからこそ、見えてくるものがあるのだろう。テクニカルディレクターに就いた直後から田辺氏は現場でさまざまな改革を行なった。
そのひとつが、コニュニケーションの改善だ。2018年からホンダはグランプリが始まる前日の木曜日から毎日、エンジニアとメカニックを全員集めてミーティングを行うようになった。これは「ホンダ・ミーティング」と呼ばれるホンダ伝統のスタイルで、第2期と第3期のときも行われていたものだった。それを経験していた田辺TDはインディカーでも採り入れたが、F1に復帰したときに復活させた。