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MotoGP ニュース

投稿日: 2020.08.27 15:59
更新日: 2020.10.19 15:52

ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1986年(前編):ライダーの指摘を勘違いし大きく迷走したエンジン開発

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MotoGP | ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1986年(前編):ライダーの指摘を勘違いし大きく迷走したエンジン開発

 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 鈴鹿8耐初出場で初優勝というチャンスがゴール直前でするっと手からこぼれ落ちたのは大きなショックではあったが、同時に「もう少しきちっとやれば優勝も夢じゃないよな」的な安易な意識も芽生えてしまったのがファクトリー参戦2年目の、1986年のレースだった。

 この年からファクトリーマシンを“YZF750”と改名したのだが、名称だけでなくエンジンの外観以外はすべて一新された。シリンダヘッドに懸架用のブロックを溶接し、0W74(’85FZR750)では痕跡器官のように残っていたダウンチューブも廃止して現在のモトGPマシンにも受け継がれているフレームの様式がここからスタートした。ヘッドライトは新たに100mm径のものを採用したのでカウリングにきれいに収まり、もはや0W74の無骨さはどこにもない「フツー」に格好いいマシンに変貌していた。そしてエンジン性能も格段に……と言いたいところだが、これがそうはいかなかった。

 実は前年の0W74に袋井テストコースで初めて乗ったケニー・ロバーツ選手は、エンジンに関してはかなり辛辣な評価を下していたのだ。「バイクってのは基本的にエイペックス(編集部注:いわゆるクリッピングポイント)を過ぎたらスロットルを開けて駆動力で向きを変えていくんだ。ところがこのマシンときたらスロットル開けても吸気音が水洗トイレみたいにゴーッと大きくなるだけで何も起きない、だからマシンの向きも変わらない」と身振りを交えて大げさに説明するキング(編集部注:ケニー・ロバーツの愛称)の姿に不謹慎だが一同大笑いしたものだ。

 5バルブエンジンの特徴でもあるのだが、トルクピークが比較的低回転寄りなのでピーク以降は力なくだらだら回る特性だった。だからここぞとスロットルを開けても駆動力が2サイクルマシンのように湧いてこない事は容易に想像できたのだが、このコメントをスロットルに対するレスポンスが悪いと勘違いしたのがエンジン実験担当者だった。「だったら低回転からトルクをモリモリ出してやればいいんじゃないのかな?」という意見に誰も異論を唱える者はおらず、キングの要望とは真逆のエンジン特性を作りこんでしまう結果になった。

 当然ながら2年目の事前テストでのキングの評価はさらに辛辣なものだった。

「お前ら、この一年何やって来たの?」とホワイトボードに右肩上がり斜めの線を描いて、左下を市販車、右上をレーサーとマーキングしたキング曰く、「レーサーって普通は市販車に対してこういうふうにリニアに性能が上がるべきものなんだ。しかるに今年のマシンはまるでダメで、この辺りに行ってる」と直線から大きく外れたところを指さした。

 確かに低回転からトルクは出ていたが、その結果中間域のトルクがやせて谷ができ、その後またトルクの山ができるふたこぶラクダみたいな特性だったので、素人目にも乗りやすいエンジンとは思われなかった。

「どうしてこんなエンジン特性になったんだ!?」とケニーの指摘を受けて初めて事態の容易ならざることを知った上司が開発陣を叱咤して急きょエンジン特性の改良に着手したが、限られた時間内ではキングが100%納得するような結果は得られないままレースに臨むことになった。(後編に続く)

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キタさん:(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。

2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。
2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川成人さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。


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