更新日: 2020.05.26 15:07
JAF-F4を生み出したふたり。その出会いからシリーズ創設に至った理由/JAF-F4の魅力を探る
国内で唯一、開発競争があるミドルフォーミュラ『JAF-F4』。とはいえ、どのようなカテゴリーなのか、その実態を詳しく知る方はそう多くないのではないだろうか。auto sport本誌では昨年に引き続き、2020年もJAF-F4の魅力を探る記事を紹介していく。
JAF-F4はF3とFJ1600の間を埋めるカテゴリーとして1993年に誕生し、20年以上の歴史を持つミドルフォーミュラ。古くは道上龍に始まり、塚越広大、平川亮なども、F4を経て国内最高峰の舞台へと駆け上がっていったドライバーたちだ。近年もFJ1600からF4に進む若手ドライバーの数が増えている。
『2020 JAF-F4 PADDOCK NEWS Vol.1』では、JAF-F4の生みの親でもあり、レーシングカーコンストラクター『ウエストレーシングカーズ』代表を努めた神谷誠二郎氏について、神谷氏と二人三脚でJAF-F4を育てたハタガワモータースポーツの畑川治氏に話を聞いた。
神谷氏と畑川氏が日本独自のカテゴリーであるJAF-F4を立ち上げようと発案したのは、当時、FJ1600からF3へのステップアップする際の費用が高騰しており、その間となるカテゴリーが必要だと考えたためだ。
2019年末に神谷氏が亡くなり、畑川氏は現在ジャパンスカラシップシステムの理事を務めるためシリーズからは離れてしまっているが、今回、戦友ともいえる神谷氏とJAF-F4について熱く話してくれた。
両氏の出会いからJAF-F4の立ち上げ、これからの日本人ドライバー、カテゴリーなどの課題なども語ってくれた内容は下記のPDFを読んでほしい。