2019年5月20日、ニキ・ラウダがこの世を去った。
「不死鳥」「コンピュータ」「スーパーラット」、ラウダを形容する言葉は数多あるが、彼がF1に残したものとは何だったのか?
171戦を戦い、25の勝利と3度のワールドチャンピオンを獲得するなど輝かしい記録が並ぶが、ラウダを数字だけで評価してはならない。なぜなら、彼はその後に続くドライバーたち、特にチャンピオンクラスのドライバーたちの振る舞いに多大な影響を与えたと言えるからだ。
ラウダから直接その帝王学を引き継いだアラン・プロスト。そのプロストからチャンピオンになるための走りを学び取ったアイルトン・セナ。そんなセナに憧れ、勝利への飽くなき追求を体現したミハエル・シューマッハー。
結局、近代F1おける突出したチャンピオンたちには、脈々とラウダ帝王学のDNAが受け継がれているといえる。彼はF1チャンピオンたちのスタンダードを築いたのだ。ラウダが最後に直接自らの教えを説いたルイス・ハミルトンは、今日のF1において圧倒的な存在感を示している。まさにそれがすべてを物語っている
現代のグランプリチャンピオンたちに計り知れない影響を与えたニキ・ラウダ。いったい彼はどのようにして我々が知り得るニキ・ラウダとなっていったのだろうか。毎号歴代F1マシンを1台取り上げて特集する「GP Car Story」は、年に1度だけその枠にとらわれない特集を組む「Special Edition」を刊行。今年は『NIKI LAUDA』のレーシング人生にフォーカスすることで、ラウダの魅力に迫る。
ここでは、そんなGP Story Special Edition『NIKI LUDA』よりニキ・ラウダと長年親交が深かった同じオーストリア出身の元F1ドライバーであり、レッドブル・ホンダのモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコのインタビューをお届けする。
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──ニキ・ラウダが亡くなったことは、いつ知ったのでしょうか。
「その日の夜には知らせを聞いた。少し前から容態があまり良くないことは知っていたが、それでもやはりニキを失ったことが確かな事実になった衝撃は大きかった。結局、その晩は一睡もできなかったよ。たくさんの思い出が次から次へと頭の中にあふれ出てきて、ニキがいかに特別な存在であったか、あらためて思い知らされた」
──最後にニキと会ったのはいつですか。
「2018年11月にウィーンの病院へ彼を見舞いに行った。私は医者ではないが、その時にはニキは回復しつつあるという印象を受けたし、実際に声も力強かった。それでも、彼の様子を見てショックを受けたことは確かだ。その後は電話で連絡を取り合っていたが、今年の初めに話した時には、ニキの声にやや元気がないような気がした。長い時間話をしたり、ひとつの文を一息に言ったりするのが、つらくなってきている様子だった」
──ニキと初めて会った時のことは覚えていますか。
「私たちがフォーミュラVeeでレースをしていた頃だから、1960年代のことになる。ニキは小さなトランスポーターを自分で運転して、ヨーロッパのあちこちでレースに出ていた。フィンランドのような、はるか遠い国でもだ。彼が抜群に速いドライバーで、しかもあらゆることを綿密に考えているのは、私にもすぐに分かった。ただレーシングカーに乗り込んで、イチかバチかやってみるようなドライバーではなかったんだ。いつでもきちんと準備をしていたし、レースの後には反省と分析を忘れなかった」