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コラム ニュース

投稿日: 2020.09.02 09:29
更新日: 2020.09.02 09:32

作家いしいしんじのモータースポーツ・コラム/二本目のミルク

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コラム | 作家いしいしんじのモータースポーツ・コラム/二本目のミルク

 雑誌『オートスポーツ』にて連載中、作家いしいしんじ氏によるモータースポーツ・コラムを期間限定で掲載。ちょっと離れた場所から、見えてくるもの。レースそのものを体感するような読み心地の「モータースポーツ小咄」を、お楽しみください。今回は佐藤琢磨、インディ500「二度目」の優勝に寄せた一編です。

* * * * * *

 これまでいろんなことを教えてもらった、料理屋のご主人と古本屋のおじさん。それぞれ別の機会に、ふたりからほぼ同じことをいわれた覚えがある。

「一回目のお客さんはお客さん。二回目になると常連さん」「初めてのお客さんの顔はおぼえる。二度目にきてくれると名前までおぼえる」「初回もうれしいよ。けど、二回目って、初回一発で気に入ってもらえた証拠だろう。そらあ格別にうれしい」

 二回目が特別というのは僕にもある。八年前の春、ふと思いたって、京都の大原を訪ねた。なんの目的もなくそぞろ歩くうち、からだがこの土地に溶けていく感じがし、名残惜しい気持ちでうちに帰った。

 翌週、とあるひとから突然「一緒に大原にいこう」と、たまたま誘われた。二度目の大原は、いっそうの輝きで僕を迎え、僕は、自分の少し溶けた風景のなかを歩きながら、小説のなかに進みだす感覚をおぼえ、そうしてまたうちに帰り、『悪声』という、大原っぽい土地を舞台にした長編を書きはじめた。

 日常、仕事、行楽と、まわりを見わたしてみると、世の中は基本、「一回きり」のできごとで終始している。

 一回きりの会話、一回きりの訪問、一回きりの道、一回きりの出会い。ところが、その上に「二回目」が加わると、それぞれふしぎな感覚に包まれる。

「あれ、みおぼえがある」
「これってひょっとして、運命じゃないの」

 一回きりでも、ありがたい。ただ、二回目にはなにか、偶然をこえた、大きな意志の存在を感じる。自分の生が「点」ではなく「線」だと感じ、その線を弦のように弾いて、妙なる響きをだすなにかがいるのだ。

 スタート直後から佐藤琢磨は、あきらかにまわり全体を見すえて走っているようにみえた。

 そのうち、見えているのはまわりだけでなく、200周の全過程なのかも、と感じられるようになった。

 オーバルコースを疾走しながら琢磨選手はハクトウワシのように上空から悠然とみおろす。ライバルたちの燃料タンクの中身、タイヤの表面さえ、ゆうゆう見えているにちがいない。

 157周、ディクソンを抜いて先頭にたちながら、後ろのついてくる速度を確かめている。そこから10周あまり、二台の距離は空気の紐でつながっているように自在に伸縮する。

 琢磨がピットへ、次の周、ディクソンもピットへ、そのままトップへ滑りでる。琢磨のマシンが目をみひらく。タイミングをはかりながら追走し、172周目、タイヤと燃料にもっとも負担のかからない走りかたでディクソンを抜き去る。

 182周目、ディクソンが詰めてくる。185、187周目、抜こうとするが抜ききれない。二台のあいだにラップダウンの集団がはさまり、ディクソンのマシンがアニメの「カーズ」さながら歯ぎしりするのが画面でもわかる。

 195周目、ピゴットのマシンが火を噴く。無観客のスタンドがどよめき、ほんものの沈黙がコースを覆う。旗がふられ、そして200周目、最後の周回は佐藤琢磨をリーダーとするパレードの体を成す。

 最後に振られる白黒格子の旗が、オーバルコースに祝福の風をおこす。
 
 マシン上で噴き上がる、通算二本目のミルク。輝かしい笑顔。
 
 みんながみんな琢磨に集まる。だいじょうぶか、という程のたてつづけのハグ。このみながいるから琢磨はここに立っている。

 一回目は、「勝者」だった。
 
 二回目、偶然をこえた大きな意志のもと、佐藤琢磨は「王者」となった。

auto sport No.1536/2020年9月18日号 掲載

いしいしんじ/プロフィール
作家。1966年大阪生まれ、現在は京都在住。京都大学文学部仏文学科卒。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。『ぶらんこ乗り』『トリツカレ男』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『よはひ』『海と山のピアノ』『且坐喫茶』など著作多数。モータースポーツのほか、SP盤収集、蓄音機、茶道など趣味も幅広い。雑誌『オートスポーツ』で連載中のコラム『ピット・イン』の絵はクルマとレースを愛する小学生の息子ひとひ氏が手がけている。

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