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MotoGP ニュース

投稿日: 2019.05.15 17:44
更新日: 2019.05.15 17:45

次期マルケスと言われた10代のライダーをMotoGPの闇から守ったマネージャーの手腕

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MotoGP | 次期マルケスと言われた10代のライダーをMotoGPの闇から守ったマネージャーの手腕

 ファビオ・クアルタラロは、2013年シーズンにルーキーとしてチャンピオンシップを制したマルク・マルケス以来、MotoGPに登場した4人目の輝けるルーキーだ。しかし、2019年で20歳のクアルタラロは、マルケスともマーベリック・ビニャーレスとも、ヨハン・ザルコとも違っている。

 クアルタラロのMotoGPへの道はマルケス、ビニャーレス、ザルコとは若干異なる。クアルタラロはデビュー戦で良いスタートを切ったが、後に大きく調子を崩し、最高峰クラスには到達できなかったかもしれなかった。

 クアルタラロのストーリーは、ライダーの才能のもろさを教えてくれる。レースはコース上やガレージのなかで起きることがすべてではない。トップレーサーは普通ではないが、それでも人間である。彼らは我々一般人と同様に過ちを犯し、弱さと感情を持つ。そしてこのことは、純真さなどはるか昔に消え失せた男の世界に入ろうとしている、無邪気な子供にも幾重にも当てはまる。

 クアルタラロの父親で元フランス選手権チャンピオンのエティエンヌは、2003年に当時4歳の息子にミニバイクヤマハPW50を買い与えた。それから間もなく、クアルタラロは主に年齢制限が低いカタルーニャでレースに出るようになった。カタルーニャ選手権50ccクラスでクアルタラロがタイトルを獲得したのは9歳の時だ。

 そして10歳で70ccクラス、12歳で80ccクラス、13歳でpre-Moto3のタイトルを獲得した。そして14歳の時にはレプソルCEV(スペイン選手権)Moto3クラスで史上最年少王者となった。

 2014年にクアルタラロは、マルケスの師であるエミリオ・アルサモラが運営するモンラウからCEVに参戦してチャンピオンとなり、2015年から必然的にMoto3に昇格することになった。だがひとつだけ問題があった。彼はシーズン開始時に16歳である必要があったのだ。だが実際にはこのことは問題にならなかった。クアルタラロが非常に優れていたため、CEV王者が15歳でグランプリに出場できるようにルールが変更されたのだ。

 物事をよく把握しているパドック関係者の多くは、クアルタラロがルーキーシーズンに世界選手権でタイトルを取るだろうと賭けをした。彼のライバルにはミゲール・オリベイラ、ロマーノ・フェナティ、ブラッド・ビンダー、ダニー・ケントらがいた。

デビュー戦から好スタートを切ったかと思われたファビオ・クアルタラロだったが……
デビュー戦から好スタートを切ったかと思われたファビオ・クアルタラロだったが……

 クアルタラロはデビュー戦で好調なスタートを切った。2戦目のアメリカズGPで初の表彰台を獲得し、第4戦スペインGPと第5戦フランスGPではポールポジションを獲得した。しかし、それ以降はすべてが崩れていく。クアルタラロがデビューシーズンのスペインGP以降で獲得したポイントは、開幕4戦で獲得したポイントよりも少なかった。

 一度に多くのことがクアルタラロを打ちのめした。世界最高のライダーと戦うプレッシャー、毎週のレース、転倒に疑念。そしてさらなる転倒と怪我に見舞われた。

「CEVタイトルを14歳で獲得すると、人々は新たなマルク・マルケスだなどと言ってくるが、そうしたことは通常助けにはならない」とクアルタラロが所属するペトロナス・ヤマハSRTのチームマネージャーを務めるウィルコ・ズィーレンベルグは語る。

「レースのことだけではない。ファビオは成長して思春期を迎え、チームを頻繁に変え、マネージメントとの問題を抱えていた。だから彼の状況について判断するのは難しかった」

「私は彼のことをCEV時代から見ていた。CEVはレベルの高いチャンピオンシップだからだ。彼は全員を打ち負かすことがほとんどだったから、多少の未熟さはあるものの、彼に才能があることははっきりしていた。ヤマハもしばらくの間、彼を注視していた」

「4年前、リン(・ジャービス、ヤマハ・レーシングのマネージングディレクター)が私にレーストラックの様子と、誰が有望に見えるかについて尋ねてきたから、私はファビオについて話した。ダニ(・ペドロサ)が引退を決め、2019年に我々の新チームには入らないことになってすぐ、ファビオは我々のリストのトップに加わった」

 クアルタラロは無残なMoto3ルーキーシーズンを10位で終え、エストレージャ・ガリシアの支援を受けているモンラウから放出された。2016年に彼はレオパード・レーシングに加入したが、チームのマシンはホンダ製ではなくKTM製だった。そのためクアルタラロの調子はさらに悪くなり、その年を13位で終えた。彼はMotoGPで急速に忘れ去られた、10代の旋風だった。

■クアルタラロのキャリアを守ったマネージャーとの出会い


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