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F1 ニュース

投稿日: 2019.12.09 18:50
更新日: 2019.12.09 18:51

ホンダエンジンを失ったマクラーレンMP4/8をハッキネンが語る「素晴らしいクルマだが重大な欠点があった」

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F1 | ホンダエンジンを失ったマクラーレンMP4/8をハッキネンが語る「素晴らしいクルマだが重大な欠点があった」

 1993年、ホンダエンジンを失ったマクラーレンの勝機は、ほぼないに等しかった。しかし、ホンダV12よりもコンパクトなフォードHBシリーズのV8エンジンをベースに開発されたMP4/8は、若干遅れ気味だった空力が一新され、さらにあの時代に適した“ハイテク”デバイスを満載して登場。

 参戦を渋っていたアイルトン・セナは、MP4/8のファーストインプレッションに懸け、全戦出走を決めた。彼のこの決断が結果的に、雨のドニントンの伝説を生むことになる。

 その一方で、セナの参戦で弾かれる格好になったのが、ロータスから移籍した若きミカ・ハッキネンだった。セナ、マイケル・アンドレッティがシートを占めたために、ハッキネンはテストドライバーとしてシーズンを過ごす以外に選択肢がなかった。しかし、ハッキネンは、テストドライバーとしての走り込んだ時間が無駄になったとは思っていなかった。

 毎号1台のマシンを特集し、そのマシンが織り成すさまざまなエピソードとストーリーを紹介する『GP Car Story』。最新刊のVol.30では、マクラーレンMP4/8を特集。このページでは、わずか3レースだけの出走となったが、年間通してMP4/8に情熱を注いだミカ・ハッキネンのインタビューを全文公開する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ 

■こんな目に遭うなんて

──1993年に向けてマクラーレンへ移籍した経緯について聞かせてください。アイルトン・セナが契約しない可能性を期待していたのでしょうか?

ミカ・ハッキネン(以下ハッキネン):とてもエキサイティングな時期だった。まずF1まで上がってくることができたし、特にチームロータスでの2年目(1992年)には、ある程度の成績も挙げていた。その結果、ビッグチームの方から私に関心を示してくれるようになったんだ。

 そういうプロセスは今も昔も変わらない。あの頃、私のFAXには次々とメッセージが届き、毎日のように記録紙のロールを交換していた。まあ、実際にそれを読んで、内容を検討してくれたのはケケ(ロズベルグ)だけどね。

 ともあれ、複数のビッグチームから声が掛かるという願ってもないような状況で、あとはこっちがどこを選ぶか決めるだけだった。そして、チームの歴史と実績、当時のパフォーマンスといった観点で考えれば、レースには出られないかもしれないという大きなリスクがあっても、マクラーレンへ行くと決めるのは難しい判断ではなかった。

1993年にマクラーレンに移籍したミカ・ハッキネン
1993年にマクラーレンに移籍したミカ・ハッキネン

──実際のところ、あの年(1993年)にレースができると予想していましたか?
ハッキネン:ああ、そう思っていた。ロン(デニス)は、必ずマクラーレンでレースをさせると言っていたからね。

──それは「いずれは」という意味ですか、それとも「93年に」という意味でしょうか?
ハッキネン:うろ覚えだが、「93年にレースをさせる」と言われたような気がする。ロンはその後に起きることを予感していたのか、実際にそのとおりになった。

 だけど、最初はすごく複雑な気分だったよ。自分でマクラーレンへ行くと決めたとはいえ、いざレースに出られないという事実に直面したときには、「ああ、なんてこった。こんな目に遭うなんて」と思った。

──開幕戦にはセナが出る、と聞かされたのですね?
ハッキネン:そのとおりだ。現実を突きつけられて、本当にがっかりした。

──これでもう、自分のキャリアは終わりだと思いましたか?
ハッキネン:いや、そんなふうには考えなかったよ。そう受け止めたのは、どちらかと言えば外部の人たちだ。誰もがネガティブな反応をして、「終わったな。君のキャリアはこれまでだ」と言っていた。私としても、気持ちを強く持つのが難しかったのは確かだ。

 けれども、テストでは1周たりとも気を抜かず、いつも全力で走っていた。当然、現場の人たちにはそれがちゃんと分かっていたし、データやレポートを通じて、私のパフォーマンスはチーム全体に伝えられていた。

 テストチームと仕事をしていると、メカニックたちが「本当は君がレースに出るべきだ。うちのドライバーのひとりを降ろして、君が乗るべきだよ!」と言ってくれて、とてもうれしかった。ロンも一時は、レースで3台を走らせられないかと動いてくれたようだけど、それは実現しなかった。

──あなたはすべてのレースに帯同していたのですか?
ハッキネン:いや、そうでもない。その場にいれば、私がつらい思いをすることをロンは知っていて、例えばテストであるとか、ほかの仕事を与えてくれていた。

──モナコとハンガリーでポルシェ・スーパーカップに出場し、どちらも優勝していますね。
ハッキネン:モナコGPの週末に、突然ロンに「ここでポルシェのレースに出たいか?」と尋ねられた。きっと私を気の毒に思ったのだろう。私は「もちろん」と答えたよ。

 モナコのフリープラクティスでは、なかなかいいタイムが出なくて、「何かがおかしい。前回から何かを変えた?」と聞いてみた。ABSシステムを交換したと言うので、それを元に戻してもらったが、やはりタイムは良くならない。

 そこで今度は、1番速いドライバーは誰かを尋ねて、そのドライバーが各コーナーを何速ギアで走っているかを教えてもらった。すると、私がそのドライバーより低いギヤで回っているコーナーが、ふたつほどあることが分かったんだ。そして、そこで使うギヤを変えると、すぐに私が最速になり、レースでも勝てた。ロンも喜んでいたよ!

ポルシェ・スーパーカップに出場するミカ・ハッキネン。きっちり優勝するのはさすが
ポルシェ・スーパーカップに出場するミカ・ハッキネン。きっちり優勝するのはさすが

■攻めたエストリル


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