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国内レース他ニュース

投稿日: 2012.10.21 00:00
更新日: 2018.02.16 12:10

S耐鈴鹿で事故のOSAMU、搬送先の病院で亡くなる


 スーパー耐久シリーズ第5戦鈴鹿の決勝レース1で10周目にクラッシュした63号車レイジュンZ33リールのOSAMUだが、搬送された四日市市の三重県総合医療センターで死亡が確認された。

 21日に行われたスーパー耐久第5戦鈴鹿は1時間のスプリントレースを2レース争われる形となっており、午前10時にスタートした決勝レース1で、OSAMU駆るレイジュンZ33リールは23番グリッドからスタート。総合21番手、ST3クラス7番手を走行していた。

 しかし、総合トップのマシンが11周目に突入したところで、前を走っていた35号車assetテクノZ33からオイル漏れが発生。ストレート後半から1〜2コーナーにかけてオイルが撒かれてしまう状況となり、35号車も自らのオイルに乗る形で姿勢を乱し、コースアウトを喫した。

 その直後、周辺のポストには滑りやすくなっていることを示すオイルフラッグが提示されたが、後続のマシンが相次いでコースオフ。その中でも、70号車Olive SPA+KOTA RACINGのNSXが1コーナーアウト側にコースアウト。バリアに衝突し、その直後にOSAMUがドライブしていた63号車レイジュンZ33リールが、オイルに乗る形でハイスピードでコースアウト。助手席側からタイヤバリアに激突した。

 すぐにオフィシャルが駆けつけたが、その時点でOSAMUは意識不明の状態。至急救急車が要請され、さらにメディカルセンターでの状況を見てドクターヘリが要請された。OSAMUは三重県総合医療センターに搬送されたが、12時5分、死亡が確認されたという。鈴鹿サーキットによれば、三重県警察からは14時40分に警察発表があったとのこと。死因については現在調査中とのことだ。また、スーパー耐久機構(S.T.O.)によれば、スーパー耐久シリーズにおける死亡事故は初めてのことだという。

 OSAMUは本名中嶋修。1958年生まれで、1983年からキャリアをスタートした大ベテラン。1995年から、自らの妻、娘の名を冠したチーム『R.F.LeyJun』を興し、フォーミュラ・ニッポンに参戦。1999年にはセントラルパークMINEでクラッシュし瀕死の重傷を負うが、その際には回復を遂げ、再びサーキットに戻っていた。

 Fニッポン参戦後は全日本GT選手権などで再び自チームを率い参戦。近年はF4などにも参戦しており、さまざまなレースに情熱を燃やしていたOSAMU。心から哀悼の意を表します。