ロシアGPが終了した2日後、トロロッソ・ホンダのドライバーふたりは、栃木県さくら市にあるHRD Sakuraを表敬訪問した。ファクトリーで働く従業員たちからの温かい応援をもらっただけでなく、ピエール・ガスリーは施設に保管されてあったF1マシンに乗る機会にも恵まれた。
ガスリーが乗ったマシンは1991年にゲルハルト・ベルガーがドライブしたカーナンバー2のMP4/6。そのとき、ベルガーの担当のエンジン・エンジニアだったのが、当日ふたりのドライバーの案内役を務め、現在ホンダF1のテクニカルディレクターでもある田辺豊治エンジニアだ。
ガスリーがMP4/6のコックピットに収まって子供のように喜んでいるころ、イギリスのミルトンキーンズにあるホンダF1のファクトリーのHRD MKでは、寸暇を惜しんで日本GPの準備を行なっていた。
「テスト用のエンジンがさくらからミルトンキーンズに届くのを待って、火曜日(10月2日)からテストを開始しました。トロロッソからのギヤボックス担当のエンジニアも来てくれてホンダのエンジニアと一緒に作業を開始していたようです」(田辺TD)
ロシアGPの金曜日に使用したスペック3は封印されているため、ソチから鈴鹿へ直接、空輸され、日本GPで使用するトロロッソの車体にドッキング。HRD MKのテストで得たデータをHRD MKから鈴鹿へ送り、レースチームのエンジニアたちが木曜日に現場で調整した。
こうして開始されたF1第17戦日本GP初日。トロロッソ・ホンダの2台に搭載されたスペック3は、フリー走行でスムーズに周回を重ねた。
午前中ガスリーは20周走って11番手、ブレンドン・ハートレーは23周走って17番手。ハートレーのタイムがガスリーよりコンマ9秒遅かったのは、新しいパーツの比較テストを行っていたからだった。
「ミルトンキーンズで行なったキャリブレーション(設定データの調整)に関しては、かなり改善され、今回は土曜日以降の使用に関しても問題ないレベルに熟成されたと考えています。オシレーション(共振)も改善されました」(田辺TD)
ところが、午後のフリー走行2回目にガスリーのマシンに問題が発生する。
「燃料システムに問題が出ました。トラブルを起こした部品が燃料タンク内にあったため、交換作業に時間を費やしてしまったようです。フリー走行2回目へ向けて、最後のエンジンがけのときに、燃圧が上がらなくなりました」