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国内レース他 ニュース

投稿日: 2020.04.03 18:00
更新日: 2020.04.17 11:43

“謎のバイエルン王子”が回想するJTCCの日々/プリンツ・レオポルド-フォン・バイエルン独占インタビュー

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国内レース他 | “謎のバイエルン王子”が回想するJTCCの日々/プリンツ・レオポルド-フォン・バイエルン独占インタビュー

 いまだ拡大の途にあり、収まる気配の見えない新型コロナウイルス禍。自宅から一歩も出ない生活を送っているレースファンも少なくないはずだ。

 ここではそんなファンのために、4月1日に発売となった雑誌『レーシングオン No.506』のJTCC全日本ツーリングカー選手権特集から記事を抜粋して紹介する。第1弾(中子修と本山哲によるスペシャル対談)に続く第2弾は、1994~95年のJTCCにBMWワークスチームのシュニッツァーから参戦した謎の選手、プリンツ・レオポルド-フォン・バイエルンの独占インタビューをお届けする。
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──生い立ちを教えてください。

プリンツ・レオポルド-フォン・バイエルン(以下、バイエルン):1918年のドイツ革命でウィッテルスバッハ家が統治を失い君主制度が終わるまで、私の血統一族は約800年間バイエルン王国を守り、中世のドイツを牽引して多くの国王を輩出してきました。父はプリンツ・コンスタンティン‐フォンで政治家として活動したドイツの連邦議会委員でしたが、1969年にプライベートジェットの墜落事故で亡くなりました。母はホーエンツォルナー家のプリンセスでした。

(中略)

 ただ私の両親の時代は恋愛結婚という概念がなく、まだ君主制度のなごりで政略結婚というものが一般的で貴族の家を守るための結婚でもあったため、その後に両親は離婚。私はホーエンツォルナー家の祖母のもとで育てられることになったのですが、運転手、メイドや執事、乳母等がいる貴族の名残ある生活をしていました。学校も当時の上級階級者が行く2校に通い、夏と冬の離宮があるなど幼少期の私は少し浮世離れした生活を送っていました。

──モータースポーツのキャリアをスタートさせたきっかけはなんだったのですか?

バイエルン:22歳で軍隊に入隊し、18カ月後に兵役が終了した瞬間、レーシングドライバーになろうと心に誓いました。人生初のレースはシュバルツバルト地方で行なわれたヒルクライムで、ファステストラップをたたき出して優勝しました。

現在のプリンツ・レオポルド-フォン・バイエルン
現在のプリンツ・レオポルド-フォン・バイエルン

──1994年にJTCC全日本ツーリングカー選手権へ参戦することになりましたが、BMWからはどんな目標を掲げられたのでしょうか?

バイエルン:日本行きのオファーをもらったときは、本当に光栄で嬉しくてたまりませんでした。私とスティーブ・ソーパーに与えられた目標は、当然ながらシリーズチャンピオンを獲得することでした。スティーブは速く素晴らしいドライバーで私よりもずっと若かったため、自分は2番手で彼のサポートに徹するべきだということを自覚していました。

──日本でのレースに苦労はありましたか? また印象に残ったサーキットやドライバーはいますか?

バイエルン:現在のドライバーはシミュレーターのおかげで初めて行くサーキットでも事前にコースを完璧に覚えて本番に挑むことができます。でも当時はそんな手段はないのでトラックウォークでコースを覚えるしかなかったのですが、日本にはMINE、TI(現在の岡山国際サーキット)、富士、鈴鹿、SUGOなど素晴らしいサーキットがたくさんありました。

 特にTIが一番印象に残っていますね。一緒に戦った日本人ドライバーたちと直接コンタクトすることはなかったのであまり覚えていませんが、トヨタの関谷正徳や日産の星野一義のことはなんとなく覚えています。

■シュニッツァーは家族の一員のようなもので、チームのために“密輸”もしていた。


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