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F1 ニュース

投稿日: 2020.08.06 12:05
更新日: 2020.08.06 12:13

F1に革命を起こした6輪車『ティレルP34』秘話。現存する“プロトタイプ”の存在に迫る

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F1 | F1に革命を起こした6輪車『ティレルP34』秘話。現存する“プロトタイプ”の存在に迫る

 長いF1の歴史の中でも一番インパクトがあり、世界中に衝撃を与えたのが“6輪車”の登場だった。

 そんな6輪たいれる、『ティレルP34』には知られざるプロトタイプが存在した。この個体は現在、ドイツ・ジンスハイムの技術博物館に収蔵されてされている。今回、レーシングオンでは現地へ赴き、貴重なこの個体を観察する機会を得ることに成功した。ここでは、現在発売中の雑誌『レーシングオンNo.508』に収録されている記事から一部を抜粋してお届けする。

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(以下抜粋)

 ティレルP34。日本では俗に“たいれる6輪車”と呼ばれ、彼の地ではそのまんま“シックスホイーラー”と呼ばれる。とにかく世界中で圧倒的な認知度と人気を誇るマシンだ。

 実はP34の“初号機”ことプロトタイプと呼ばれる個体は今も現存しており、それはドイツの博物館に収蔵されて一般展示されている。シュトゥットガルトから車で約1時間、バーデン=ウルテンベルク州にある『ジンスハイム・テヒニッヒ・ミュージアム』。言うなれば“技術博物館”と訳せるこの施設にて、初号機ことプロトタイプは余生を送っているのだ。

 館内には何台ものレーシングカーが居並ぶが、P34だけは別格。まるで数カラットのダイヤか王冠かのごとく“ガラスケース”に囲われ、四方からこのマシンを観察することができるようになっている。右側面のタイヤは3輪とも外して置かれ、特徴的なフロントのサスペンションなどの足まわりもつぶさに鑑賞できる。

 そもそもP34は革命車だったのか?という声があるかもしれない。「小径タイヤによって空気抵抗を減らし、トップスピードの向上と接地面積の拡大およびブレーキ性能の強化が見込める」とした設計者デレック・ガードナーの理念を目論見どおりに発揮できたのかはともかく、一定程度のメリットは認められたのだろう。

 ただ“一時代を築いた”とまでは言えないし、この車の登場が“一夜にして”従前の勢力図を塗り替えたなんてこともない。それでもとにかく「タイヤは4つじゃなくてもいいんだ!」と世界中に思わせただけで偉大かつエポックメイキングなマシンではないか。

F1に革命を起こしたティレルP34秘話。現存する“P34プロトタイプ”の存在に迫る
ドイツ・ジンスハイムの博物館で特別展示されるP34プロトタイプ。実戦車と比べるとノーズやインダクションポッドなど各所の形状が異なっている

 そしてP34が素晴らしいのは、単なる思いつきとか、ただ奇抜なだけのマシンではなかったということだ。実質2シーズン弱、3人のドライバーが都合59レースを戦って14回の表彰台を獲得、うち1レースでは優勝し1‐2フィニッシュさえ達成している。

「好調だった1976年に比べると1977年は一転して不調に」と評されがちな2年目を含めての結果でさえこうなのだから、実はけっこう健闘しているというか、総じてポテンシャルの高かったマシンなのだと言えるだろう。かつてタイトル争いの常連だったティレルチームからすれば不振と論じられるかもしれないが、P34はそれなりに使命を全うした成功車だった(はず)。

 1976年第4戦スペインGPにて実戦デビューを果たしてからのP34がその後どんな進化発展を遂げたのかについては、ファンならばよく知るところだ。P34は毎戦のように改良を施されて登場、その積極的かつ継続的な開発があったからこその好成績連発だった。

 2年目もその姿勢は継続されていたがトラブルによるリタイアが増え、特注サイズのフロントタイヤの開発が止まったことでメリットをデメリットが上まわるようになり、結果としてP34は77年限りで引っ込められることとなった。奇しくもティレルがP34を諦めたその年、ロータスがウイングカー(タイプ78)を投入。ちょうどF1にドラスティックな変革が訪れようとしていた時期と重なった。

■実際のレース車両とはあらゆる部分が異なった姿


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