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海外レース他 ニュース

投稿日: 2023.01.09 18:48
更新日: 2023.01.09 22:57

F1直下の強豪。プレマ・レーシングとMPモータースポーツの歴史【海外レーシングチーム解体新書/第2回】

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海外レース他 | F1直下の強豪。プレマ・レーシングとMPモータースポーツの歴史【海外レーシングチーム解体新書/第2回】

 海外レーシングチームの歴史とバックグラウンドをお届けする不定期連載『海外レーシングチーム解体新書』。第2回となる今回も前回に引き続き、F1直下のフォーミュラシリーズ『FIA F2』から、3度のドライバーズタイトルを獲得したプレマ・レーシングと、2022年チャンピオンチームのMPモータースポーツの2チームについてお届けする。

■プレマ・レーシング/シングルシーターの雄

 プレマ・レーシングは、1983年にアンジェロ・ロジンとジョルジオ・ピッコロが設立したイタリアのレーシングチームだ。1984年のイタリアF3選手権参戦以降、シングルシーターを中心にさまざまなレースシリーズへ参戦。2022年シーズンはFIA F2、FIA F3を含む11シリーズに参戦し、イタリアではF1に参戦するスクーデリア・フェラーリ、スクーデリア・アルファタウリに次ぐシングルシーターの有力チームとして数えられる。

 歴史は長いプレマ・レーシングだが、初のシリーズタイトル獲得はチーム設立から8年が経過した1990年イタリアF3選手権だった。その次にタイトルを獲得できたのは1998年のイタリアF3選手権と、長きにわたり中堅チームであり、のちに“シングルシーターの雄”と評されるまでの活躍は見られなかった。なお、1998年にはアンドレ・クートらを起用し、国際F3000選手権へ参戦するも1シーズン限りで撤退している。

 ただ、21世紀を迎えるとプレマ・レーシングは自動車メーカーを含めたさまざまなプロジェクトと積極的にコラボレーションを展開し、成績も向上を見せることになる。2001年と2002年にはドイツF3選手権でホンダ育成ドライバーの松浦孝亮を起用し、2002年にはドライバーズランキング2位を獲得した。

 そして、2003年に発足したトヨタモータースポーツGmbH(TMG/現:TGR-E)による若手育成プログラム、TDA(トヨタ・ドライバーズ・アカデミー/のちにTDP、TGR-DCへと発展)のパートナーに選ばれると、平中克幸、平手晃平がF3ユーロ・シリーズやフォーミュラ・ルノーに参戦。そして2005年には小林可夢偉がユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0と、フォーミュラ・ルノー2.0・イタリアでシリーズチャンピオンに輝くなど、2000年代前半は日本の自動車メーカーとのコラボレーションで注目を集めた。

2002年F3コリア・スーパープリ/松浦孝亮(プレマ・パワーチーム)
2002年F3コリア・スーパープリ/松浦孝亮(プレマ・パワーチーム)
2005年ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 第3戦ル・マン/小林可夢偉(プレマ・パワーチーム)
2005年ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 第3戦ル・マン/小林可夢偉(プレマ・パワーチーム)

 また、2007年には当時ルノーF1の育成ドライバーだったベン・ハンリーを起用し、フォーミュラ・ルノー3.5でシリーズ2位を獲得すると、2011年よりフェラーリのドライバー育成プログラムFDA(フェラーリ・ドライバー・アカデミー)のドライバーの受け入れを開始する。

 また、FDA所属ドライバーに限らず、プレマ・レーシングには世界各地から有望ドライバーとスポンサーが集うこととなり、2011年〜2012年にはF3ユーロ・シリーズを2連覇。さらに同シリーズが発展したFIA ヨーロピアンF3では2013年から2018年までチームタイトル6連覇。そのうち5回でドライバーズタイトルを獲得するという驚異的な成功を収める。

「プレマでなければF3で勝てない」と評されるまでに欧州F3を支配すると、2016年よりGP2(のちのFIA F2)に参戦を開始。参戦初年度ながらレッドブル育成のピエール・ガスリーがドライバーズタイトルを獲得。アントニオ・ジョビナッツィがランキング2位に続き、プレマ・レーシングがチームタイトルも手にするという完勝でデビューイヤーを飾った。

2016年GP2第6戦ブダペスト 優勝したピエール・ガスリー(プレマ・レーシング)、2位のアントニオ・ジョビナッツィ(プレマ・レーシング)、3位のセルゲイ・シロトキン(ARTグランプリ)
2016年GP2第6戦ブダペスト 優勝したピエール・ガスリー(プレマ・レーシング)、2位のアントニオ・ジョビナッツィ(プレマ・レーシング)、3位のセルゲイ・シロトキン(ARTグランプリ)

 さらに、FIA F2へと名称が変わった2017年にはFDAのシャルル・ルクレールがドライバーズタイトルを獲得。2020年にはFDAのミック・シューマッハーを起用し、ドライバーズ&チームタイトルを獲得。両ドライバーの翌年からのF1昇格を支えた。また、2021年には当時アルピーヌ育成だったオスカー・ピアストリとともにドライバーズ&チームタイトル連覇を果たし、チーム力の高さを見せつけた。

 2022年のFIA F2ではレッドブル育成のデニス・ハウガー、ユアン・ダルバラを起用。続く2023年シーズンはFDAのオリバー・ベアマンとメルセデス育成のフレデリック・ベスティと、FDAだけではなくさまざまな育成プログラム所属ドライバーを起用している。これらの育成プログラムがドライバーを乗せたいチームであり、かつFIA F3、フォーミュラ・リージョナル・ヨーロッパをはじめ、参戦するすべてのシリーズでタイトル争いの一角となる活躍を見せていることから“シングルシーターの雄”と評される。

 また、若手ドライバーに対し「F1以外のチャンスを」創出すべく、2022年シーズンよりアイアン・リンクスと組み、WEC世界耐久選手権、ELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズのLMP2クラスに参戦を開始している。将来的にはハイパーカークラス参入も視野に入れているということで、今後はシングルシーターのみならず、スポーツカーレースでの活躍にも期待したいところだ。

優勝でチャンピオンシップ獲得を決めたプレマ・レーシングの9号車オレカ07・ギブソン
優勝でチャンピオンシップ獲得を決めたプレマ・レーシングの9号車オレカ07・ギブソン
2003年F3コリア・スーパープリ/平中克幸(プレマ・パワーチーム)とルイス・ハミルトン(マノー・モータースポーツ)
2003年F3コリア・スーパープリ/平中克幸(プレマ・パワーチーム)とルイス・ハミルトン(マノー・モータースポーツ)
2004年F3バーレーン・スーパープリ/平手晃平(プレマ・パワーチーム)
2004年F3バーレーン・スーパープリ/平手晃平(プレマ・パワーチーム)

■MPモータースポーツ/2022年のチャンピオンチーム

 2022年シーズンのFIA F2はフェリペ・ドルゴヴィッチが他を圧倒したシーズンだった。ドルゴヴィッチの走りを支えたMPモータースポーツも初のチームタイトルを獲得しているが、意外にも同チームの歴史は複雑だ。

 1994年、オランダの実業家コック・クールがマルチプロモ社を設立。現在もチーム名に入るMPはこのマルチプロモ(Multi Promo)の略称だ。マルチプロモ社の資金をベースに活動をスタートしたMPモータースポーツはクールの息子フェルディナンド・クールを含めた若手ドライバーがレースを始めるきっかけとなった。

 設立当初から活動の場はオランダ&ベルネクス地区のフォーミュラ・フォードだったが、チームの規模は小規模で活動資金は潤沢とはいえず、2001年にクールは当時の所属ドライバー、アルディ・ファン・デル・ホークの父、アリー・ファン・デル・ホークにチームを売却し、チーム運営から離れた。

 新体制となった2004年にはフォーミュラ・ルノー2.0・ベネルクスにステップアップ。しかし、ファン・デル・ホーク体制も長続きはせず、2005年にヨーロッパ最大級の規模で梱包材の製造・販売を手掛けるデ・ヨング・パッケージング社の創業者兼CEO、ヘンク・デ・ヨングが新たなオーナーとなった。

2015年GP2第1戦サクヒール/ダニール・デ・ヨング(MPモータースポーツ)
2015年GP2第1戦サクヒール/ダニール・デ・ヨング(MPモータースポーツ)

 2008年にヘンクの息子であるダニール・デ・ヨングがレーシングカートからステップアップを果たしMPモータースポーツに加入する。また、同時期にはジョン・ブース率いるマノー・モータースポーツとタッグを組み、マノー・MPモータースポーツとして、フォーミュラ・ルノー2.0とAUTO GPに参戦。デ・ヨングのチームメイト兼ドライバーコーチにクリス・バン・デル・ドリフトを起用する体制でデ・ヨングの育成に注力したほか、ファクトリーの移転などチーム力強化にも取り組んだ。

 2013年より、スクーデリア・コローニのエントリーと資産を受け継いでMPモータースポーツはF1直下のGP2に参戦する。ダニール・デ・ヨングは4シーズンにわたりMPモータースポーツから参戦を続けてきたが、最高位は7位と苦戦が続いたこともあり、2016年をもってシングルシーターキャリアに終止符を打ち、以降はチームマネージャーのひとりとしてMPモータースポーツの運営に携わっている。

 ダニールがステアリングを置いて以降もデ・ヨング家のレースへの情熱は衰えず、MPモータースポーツは2018年からはFIA F3へ参戦を開始。シリーズ戦では苦戦が続いているが、2019年の第66回マカオグランプリ/FIA F3ワールドカップではオランダ出身のリチャード・フェルシュフォーとともにマカオ初制覇を果たしている。

第66回マカオグランプリ/FIA F3ワールドカップを制したリチャード・フェルシュフォー(MPモータースポーツ)
第66回マカオグランプリ/FIA F3ワールドカップを制したリチャード・フェルシュフォー(MPモータースポーツ)

 FIA F2では2020年にドルゴヴィッチが3勝、シーズン途中まで参戦した松下信治が1勝を挙げ、徐々に戦力を向上すると2022年にドルゴヴィッチが5勝を飾り、最終戦を前にFIA F2ドライバーズタイトルを獲得。さらに、MPモータースポーツも初のチームタイトル獲得という過去最高の結果を残し、FIA F2の歴史にその名を刻んだ。

 2023年シーズンへ向け、FIA F2ではレッドブル育成のデニス・ハウガーが加入。もうひとりのドライバーについては1月9日時点で未発表だが、2023年シーズンも強豪の一角としてタイトル争いに加わるチームに違いない。

2022年FIA F2王者となったフェリペ・ドルゴヴィッチ(MPモータースポーツ)
2022年FIA F2王者となったフェリペ・ドルゴヴィッチ(MPモータースポーツ)
松下信治(MPモータースポーツ)
松下信治(MPモータースポーツ)


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