スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回も2015年のWEC世界耐久選手権第3戦として行われた第83回ル・マン24時間レースについて。ライブ配信番組『NISMO TV(ニスモTV)』のコメンテーターを務めていたコリンズには、ニッサンの戦いはどう映ったのでしょうか。
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2015年のル・マン24時間でニッサンチームは厳しいスタートを切った。クラッチのトラブルがあり、そのせいで23号車ニッサンGT-R LMニスモはレースのスタートに姿を見せず、20分後にガレージから出て、レースに加わった。
出だしでつまづいた感のあったニッサン勢だが、以降は順調に走行を重ねた。21号車と22号車の2台は予定どおりのスタートを切ると、前を走るLMP2マシンをたやすく交わしていった。
その様子はオンボード映像も交えてライブ配信され、素晴らしいシーンの連続となった。このとき、私は決勝スタート前の予想が間違っていたかもしれないと思い始めた。マシンはある程度の速さを発揮していたし、スタート直後の1時間で起きたトラブルはマシンのドアが開いてしまうというものだけで、3台のGT-R LMニスモは順調な走りを見せていた。
しかし、レース開始から3時間が経過したころ、私はレース折り返しまでに3台ともトラブルでストップするだろうとふたたび考えるようになった。赤・白・青のトリコロールカラーをまとった21号車はガレージで長時間の修理を受けていたからだ。
そして、この光景はお決まりのものになり、3台中1台はいつもガレージで修理されているのではないかと思うようになった。3台全車がコース上にいるほうが珍しい状態になってしまったのだ。
それと同時に、私は少し苛立ちを覚え始めた。この年、私はYouTubeでライブ配信されるニスモTVのコメンテーターを務めていたため、個人的にみすぼらしく感じていたニッサンのホスピタリティから動けず、各所で繰り広げられていたエキサイティングなバトルを見逃していたからだ。
コース上ではLMP1を戦うポルシェとアウディによる激戦が繰り広げられていたし、LMP2の戦いもスリリングだった。私が少し手助けしたストラッカ・童夢もフィーチャーされる機会こそ少なかったが、トップ10圏内を着実に走行し、バトルにも絡んでいた。
そしてサルト・サーキットに夜の帳が下り始めたころ、私はようやくニッサンのスタジオを離れるチャンスを得た。最終シケインの近くにある『Radio Le Mans』ブースで、2時間30分に渡って解説を務めることになったのだ。
このスタジオは遥かに快適だった。ニッサンのスタジオは時間が経つにつれて暑さが増していたのも要因だが、ラジオブースで入手できる情報とデータの内容もはるかに優れていたのだ。
私は見ごたえあるレースの解説を務めることが大好きだ。だからル・マン24時間の各所で繰り広げられるバトルについてコメントすることは、アメリカ製でお世辞にも品質がいいとは言えず、しょっちゅう故障してしまう3台のFFレイアウトLMP1マシンについてコメントすることよりも、はるかに心踊るものだった。
ラジオブースでのシフトが終わると、私はニッサンのホスピタリティまで歩いて戻った。夜になってからル・マンを歩くと特別な空気を味わえる。場内にはマシンのサウンドがコンクリート製の建物に反射して響き、あらゆる方向から人が歩いてくる。この空間には特別なエネルギーが宿っていると思っている。
あの空間は、とてつもなく騒々しく混沌とした環境だが、一方で奇妙な平和と静けさも同居する空間でもあった。矛盾しているように聞こえる内容だが、これもル・マンが見せる魔法のひとつなのだ。
この独特の空気にもう少し浸るべく、私は少し遠回りしてニッサンのブースへ帰る前にピットガレージに寄り道したのを覚えている。そしてピットで、ニッサンのLMP1プロジェクトでコンサルティングを務めていた親友のリカルド・ディビラと一緒に1杯のコーヒーを飲んだ。
ディビラは大きな笑みを浮かべて、私のことを“失礼な”名で呼び、無作法な冗談を言っていた。これが彼のいつものやり口だ。
そんなお決まりの言葉を交わした後、ディビラはGT-R LMニスモに何が起きているのかを話してくれた。私はカフェインをたっぷり摂り、彼との会話を楽しみながらも少し混乱を覚えて、ガレージを後にした。だが、3台のマシンそれぞれになにが起きているのかを知ることができた。
GT-R LMニスモはハイブリットシステムを使わずに戦っており、エネルギー回生システムも使えないことから、マシンに備えられた小型ブレーキには予想よりもオーバーヒートする事態に陥っていた。
マシンが抱えていた不具合はこれだけではなかったので、ガレージでは作業が絶え間なく行われ、メカニックたちは疲弊しているように見えた。その一方でエンジニアたちは手持ちぶさたに見えた。ガレージにマシンがある間、彼らの前にあるテレメトリースクリーンは真っ白なのだから当然だ。