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ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2020.06.28 14:00
更新日: 2020.06.28 14:02

2006年プチ・ル・マン、ドライバーとして挑んだコリンズに仕掛けられたチームの巧妙な“罠”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

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ル・マン/WEC | 2006年プチ・ル・マン、ドライバーとして挑んだコリンズに仕掛けられたチームの巧妙な“罠”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 アメリカン・ル・マン・シリーズのレースには元気づけられた。アウディR10 TDIや、新車のポルシェRSスパイダーのようなマシンを見るのは特別な時間だったし、アストンマーティンとコルベットのバトルも見応えがあった。

 性能調整が行われた結果、プチ・ル・マンではクリエーションのニコラ・ミナシアンがポールポジションを獲得していた。ザイテックの1台がアウディ勢の間に割り込み、2台のポルシェは5番手と6番手だった。

 スタートからジャッドエンジンを搭載したブルーカラーのクリエーションが首位に立った。アウディはこの名声高いレースでプライベーターチームに負けてしまうのだろうかと思ったほどだ。

 しかし、その不安は杞憂に終わった。しばらくしてアウディはなんとか前に出て、レースのコントロールを握ったのだ。ローラのマシンを走らせるインタースポーツとハイクロフト・レーシング、そして新興のダイソンは順調に走行しており、ポルシェRSスパイダーの前に出ていたが、アウディのディーゼルパワーには追いつけなかった。

 またコース上には素晴らしいエンジンサウンドを轟かせるマシンがいた。それはBKモータースポーツのクラージュC65だった。このマシンはマツダR20Bの3ローターエンジンを積んでおり、驚くべきサウンドを奏でていた。シャシーは古く、特に速いわけではなかったが、そのサウンドはとにかく見事なものだった。

 このマシンはその後、マツダのコンセプトカー“風籟(ふうらい)”のベースとなったのだが、残念なことに風籟がレースに出ることはなかった。

 レースに話を戻そう。レースが進むにすれ、徐々にコース上を走るマシンが減っていった。スタートから6周後にはコースを走るラディカルSR9は1台だけになっていた。そしてレースが1000マイル(約1609キロ)の半分に届く前に、さらに3台のマシンがリタイアした。先頭集団にいた2台のLMP1クラスのローラとGT2クラスのフェラーリだ。

 その時点までに4クラスで24台までに減っていたが、まだ先の長いレースに残っていた。しかし、それ以降にリタイアしたのは3台だけだった。レースの終了間近ではあったが、残念ながらクラージュ・マツダの1台もリタイアした。

 レース終了間近、日も暮れてきたころにアウディの1台、2号車R10 TDIががGTカーに接触してサスペンションを損傷し、タイムを失った。首位に2号車アウディは他のR10 TDIとのギャップはわずかだったものの、優勝争いから脱落することはなく、リナルド・カッペロとアラン・マクニッシュはわずかのギャップを守って勝利を奪った。

 GT1クラスでは長い戦いの後、アストンマーティンが僅差でコルベットを下した。この2ブランドのライバル関係はそれから何年も続くことになる。実際、アメリカン・ル・マン・シリーズは、人気が沸騰するところで、さらなるビッグネームやマニュファクチャラーを引きつけていた。

 その後、アメリカン・ル・マン・シリーズが素晴らしいものに成長していったことは非常にうれしいことだし、最盛期を迎える前にシリーズを見ることができたこともよかったと思っている。

 今ふり返れば、2006年のプチ・ル・マンは万人に認められるような素晴らしいレースではないのだが、個人的には記憶に残るレースだ。もちろん、私が出場するはずだったサポートレースのIMSAライツで苦い思いをしたからだ。

 これ以降、私が本気でレースを戦うためにアメリカへ行くことはなかった。NASCARのテスト参加も検討したが、結局実行することはなかった。

 IMSAライツ自体はその後も続いたが、残念ながらワンメイクシリーズとなりシリーズ名称も“マツダ・プロトタイプ・ライツ”に変更された。

 私を快く迎え入れてくれたウェスト・レーシング・カーズはのちにレベル5モータースポーツに買収されたが、同社は金融スキャンダルに巻き込まれ、閉鎖された。

 そういうわけで私が2006年のプチ・ル・マンを懐かしい気分でふり返ることはないが、印象的だったことは確かだ。まともなマシンでロード・アトランタのレースを戦ってみたいとは今でも思っている。

 なによりも、私はロード・アトランタのレースに参加したことはないのだから、しっかりとレースに出て、公式記録を正したいのだ。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。


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