レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

スーパーGT ニュース

投稿日: 2019.12.25 17:38
更新日: 2021.11.05 12:01

GT300マシンフォーカス:プリウス史上最悪だった2019年。名門aprのFR型プリウスが大苦戦した理由

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


スーパーGT | GT300マシンフォーカス:プリウス史上最悪だった2019年。名門aprのFR型プリウスが大苦戦した理由

 14車種29チームがしのぎを削った2019年のスーパーGT300クラス。そのなかから1台をピックアップし、マシンのキャラクターや魅力をドライバー、関係者に聞いていく連載企画。その2019年シーズン最終回は独自のJAF規定GT車両で数々の名車を送り出してきた名門aprから、同チーム初のFR(フロントエンジン・リヤドライブ)車両としてデビューした『TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT』の31号車を取り上げる。

 GT300クラス唯一のハイブリッド搭載マシンでもある新生FRプリウスの開発を託された嵯峨宏紀と、その設計者でもある金曽裕人監督に、デビューシーズンに味わった産みの苦しみを聞いた。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

「実際のところは、まだ生まれてもいない(笑)。年間を通してノーポイントはまさかね……。1点2点は獲れるかと思っていました。思いのほか、苦労してしまいました」

 2019年シーズンを苦々しい表情でそう振り返ったのは、2012年からハイブリッド・ミッドシップ車両としてのトヨタ・プリウスを育て上げ、近年はZVW50型で毎年のようにタイトル戦線に絡んできたaprのエース、嵯峨宏紀だ。

「思っていた以上に成績が伴わなくて、僕たちも忸怩たる思いではありますが、産みの苦しみというよりもレギュレーションが変わったことによって、今までのMRからFRに変わってしまったというのが大きかったです。完全な新造シャシーでデータもないですし、そのあたりの苦しみが大きいのかな」

FR仕様になったプリウスを「時間を掛けてゆっくり勝てるところまで仕上げていく」と語った嵯峨宏紀
FR仕様になったプリウスを「時間を掛けてゆっくり勝てるところまで仕上げていく」と語った嵯峨宏紀

 嵯峨にとっても、スーパーGTでFRレイアウトのマシンをドライブしたのは「デビューした年のセリカ以来」約13年ぶり。その当時はエースドライバー兼代表を務めた竹内浩典のもと、GT300クラスの流儀を学ぶ日々を過ごした。

「当時のセリカはタイヤがクムホだったというのもありますが、エンジンが3S-Gの2リッター直4ターボだったのもあって、FRと言いながらもコーナリング性能が優秀なマシンでしたね」

 2019年に登場したapr初挑戦のFRマシンは、搭載するエンジンについても、嵯峨がこれまで慣れ親しんできたレース専用開発の3.4リッターV8自然吸気のRV8Kから、レクサスRC F GT3などに搭載される5.4リッターの2UR-GSEをベースとする汎用型V型8気筒にスイッチ。これがフロントエンジンベイに搭載された。

 aprが戦闘力あるミッドシップ・プリウスをあきらめ、FRの新型マシン開発に舵を切ったのは、規定変更への対応という外的な変化が要因だった。2019年からスーパーGTのレギュレーションで「ベース車両からのエンジン搭載位置変更不可」という条文が実効となったのだ(4WDからFR、FFからFRのようにエンジン搭載位置変更を伴わない駆動方式の変更は可)。

 これにより、aprはFRの新造シャシーを製作し、新たな技術的課題に挑むことを求められた。チーム代表であり、数々の名機を送り出してきたマシンデザイナーでもある金曽裕人監督は言う。

「その(規定変更による新車設計の)タイミングで、これまで搭載してきたレーシングエンジンのRV8Kも、将来的な供給が不確実だったことから新エンジンへのスイッチを決断したんです」

エンジンへの"縛り”が取れた第6戦オートポリス。ここで「やっと戦える土俵に立った」(金曽裕人監督)
エンジンへの”縛り”が取れた第6戦オートポリス。ここで「やっと戦える土俵に立った」(金曽裕人監督)

 ただし、このエンジンもただちにJAF-GT規定に適合させた状態で走り出すことは時間的制約から難しく、開幕から数戦は特認車両扱いでの参戦となり、晴れてエンジンへの縛りが解けたのは第6戦のオートポリスになってからだった。

「エンジンが規定に合ったいい状態になって、やっと戦える土俵に立った。そこでようやくシャシーのセットアップができるようになったというのが本当のところ。でも、そこに時間を取られすぎたから、天下のBS(ブリヂストンタイヤ)を履いているのにノーポイントという苦しい時間を過ごすことになりました」と、生みの親としての苦労を語る金曽監督。

 これも自らの手でマシンを設計し走らせるJAF-GT規定の強みではあるが「クルマをゼロから作っているので、どこで何がどう動いてるのかは全部わかっていて、どこがウイークポイントになっているのかも、ほぼほぼ把握できて」(金曽監督)おり、まったくブランニューのシャシーながら、マシンバランス自体はレースウイークごとにある程度、セットアップで見つけ出すことは可能だった。しかし……。

「今年の全セッションで『このクルマ、同じセットでこのまま固定ね』という状況は1回もなかった。もし予選で下位に沈んでいたら、それはセッションを捨ててでも何かしらのテストをしているときでした」

「宏紀としても『予選でもうちょっと前に行きたいから、そんなことやめてよ』とは言わず、どうせやっても今の順位なら『じゃあダメな方、見に行きましょうよ』と、覚悟の上で走ってくれた」

 金曽監督がこう苦しい内情を語ると、その言葉に応じるようにエースの嵯峨も「下手すれば、レース前にジオ(メトリー)変えたりしますから」と、試行錯誤のシーズンが続いたことを明かした。

31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのフロントビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのフロントビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのサイドビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのサイドビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのサイドビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのサイドビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのリヤビュー
31号車TOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのリヤビュー

■「壊れない」美点を持つプリウス。「時間を掛けてゆっくり勝てるところまで」と嵯峨


関連のニュース