F1には、シリーズを運営するオーガナイザーを始め、チーム代表、エンジニア、メカニック、デザイナー、そしてドライバーと、膨大な数のスタッフが携わっている。この企画では、そのなかからドライバー以外の役職に就くスタッフを取り上げていく。
第5回目となる今回取り上げるのは、レーシングカー・デザイナーのエイドリアン・ニューウェイ。鉛筆と製図板を使用してレーシングカーのデザイン行い、F1のデザイナー界のトップに立ち続ける一方、息子のキャリアをサポートする父親の一面も見せる“空力の鬼才”をご紹介する。
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人は、彼のことを次のように呼ぶ。
「空力の鬼才」
「稀代の天才デザイナー」
「空力の申し子」
これらすべての呼称は、イギリス出身のレーシングカー・デザイナーであるエイドリアン・ニューウェイに与えられたものである。なぜならニューウェイが手掛けたマシンは、F1で仕事を始めた小規模チーム時代を除けば、いずれもチャンピオンを獲得しているからだ。
1980年にサウサンプトン大学の航空工学を卒業し、フィッティパルディ・チームでF1のキャリアをスタートさせたニューウェイは、いったんF1を離れて、アメリカでスポーツカーやCART(チャンプカー・ワールド・シリーズ)といったマシンを通してレーシングカーのデザインを本格的に開始させた。
ニューウェイの才能がF1で最初に認められたのは、ヨーロッパに戻ってF1のデザインを再び開始した1988年のことだった。この年、ニューウェイが設計したマーチ・881は、自然給気エンジンを搭載していたが、ターボ・エンジン勢に負けない速さをみせ、第13戦ポルトガルGPではマクラーレン・ホンダ(ターボ搭載車)のアラン・プロストに次ぐ2位を獲得。日本GPではイワン・カペリがプロストを抜き、一時トップを走ったこともあった。
当時のF1はホンダとフェラーリのターボ・エンジンがすべてのグランプリで勝利を挙げたようにターボ・エンジン全盛期で、非力な自然給気エンジンを搭載したマシンは不利だと思われていた。そんななかでニューウェイが手掛けたマーチ・881がホンダ・ターボを搭載するマクラーレンとサーキットによっては互角に渡り合えたのは、いかにマーチ・881が空気抵抗が少ないなど空力面で優れたマシンであるかを世に知らしめる結果となった。
この才能をトップチームが放っておくわけはなかった。最初に動いたのは、マクラーレンから再び覇権を奪おうとしていたウイリアムズだった。1990年の途中にウイリアムズに移籍すると、チームはニューウェイが在籍していた1997年までの8シーズンの間に、コンストラクターズタイトルを5度獲得。ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブが、ニューウェイのマシンでドライバーズタイトルを手にした。
そんななか、ニューウェイは97年にウイリアムズを離脱してマクラーレンへ移籍。すると、今度はマクラーレンが1998年と1999年に2年連続でチャンピオンを獲得。ミカ・ハッキネンがドライバーズチャンピオンとなった。
ウイリアムズもマクラーレンも、当時は何度もチャンピオンを獲得していたトップチームだったが、ニューウェイの評価がさらに上がったのは、2006年に移籍したレッドブル時代だった。
当時、レッドブルはチームが発足したばかりで、チャンピオンはおろか優勝すらも狙えないようなチームだった。ところが、レギュレーションが大きく変更された2009年にレッドブルはタイトル争いを展開。翌年の2010年に初のダブルタイトルを獲得。その後、2013年まで4連覇を果たして、レッドブルがトップチームとなる礎を築いた。
この時期、レッドブルとタイトル争いを繰り広げたひとりであるフェルナンド・アロンソは、こう言ってニューウェイの偉大さを評した。
「僕らがタイトルを賭けて戦っているのはレッドブルのドライバーだけじゃない。ニューウェイと彼が作ったマシンとも戦わなければならない」