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F1 ニュース

投稿日: 2020.05.25 16:58
更新日: 2020.05.25 16:59

“モナコ・マスター”セナが起こした魔法(1)6勝を可能にした恐るべき正確さ。4ミリのコースの変化を察知

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F1 | “モナコ・マスター”セナが起こした魔法(1)6勝を可能にした恐るべき正確さ。4ミリのコースの変化を察知

 伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナはモナコGPで圧倒的な強さを誇っていた。10回出場したなかで1987年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年の6回優勝を達成、これは歴代最多記録だ。ポールポジションも5回獲得しており、1994年のサンマリノGPで命を落とさなければ、その記録をさらに伸ばしていたことだろう。本来モナコGPが開催されるはずだったいま、“モナコ・マスター”と呼ばれるセナが見せた魔法を振り返ってみたい。

 セナにとってF1モナコGP初参戦は1984年。トールマンでデビューしたばかりのセナは、予選13番手を獲得。雨の決勝で目の覚めるような速さを見せ、オーバーテイクを繰り返し、19周目にはニキ・ラウダのマクラーレンを抜いて2番手に浮上した。

 首位を行くアラン・プロストとの差を縮め始め、その背後に迫った32周目、オフィシャルを務めたジャッキー・イクスが、悪コンディションのためレース中止を決定。規則により、レース結果は中止される前のラップの順位が採用され、プロストが優勝、セナは2位という結果になった。

 このレースが赤旗中止にならなければセナが優勝していたという説もあるが、それは事実ではないかもしれない。セナは縁石にヒットし、サスペンションにダメージを負っていたため、もしレースが中止されていなければ、リタイアしなければならなかったかもしれないといわれている。

1984年トールマン時代のアイルトン・セナ
1984年トールマン時代のアイルトン・セナ

 いずれにしても、1984年モナコで明らかになったのは、セナがF1史上最も優れたドライバーのひとりであるということだった。F1でわずか6戦目のドライバーが、悪コンディションのモナコで2位を走ったのだ。雨のストリートサーキットで速く走るために必要なスキルと正確さを持ち合わせたドライバーであることは間違いなかった。

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