──2015年からホンダ製パワーユニットを搭載しましたが、チームは低迷し続けました。なぜ、マクラーレンとホンダの関係はうまくいかなかったのでしょう?
「うまくマネージメントできなかったからだ。我々が最初にメルセデス・エンジンにスイッチした時、実際はメルセデス・ベンツの支援を受けたイルモア製エンジンだった。あのエンジンを使った最初の数年間、特にポール・モーガンが亡くなってからは大きなトラウマになるほどで、パワーも信頼性もなかった」
「そこで私はメルセデスHPP(メルセデス・ハイパフォーマンス・パワートレインズ)を設立し、アンディ・コーウェルを採用した。そして、イルモアのマリオ(イリエン)と衝突しながらも、なんとかして競争力のあるエンジンに仕上げたんだ」
「しかし、2015年にホンダと組んだ時には、そういったマネージメントができていなかった。チームはフェルナンド(・アロンソ)がホンダを批判するのに寛容すぎたし、本来なら止めさせるべきだった」
「というのも、戦略的にパフォーマンスを上げていくには1~2年はかかるものだし、ドライバーはそんなことを気にはせず、次のレースのことだけ考えていればいいんだ。だが、チームは明らかにフェルナンドに振りまわされていた。彼が事実上の“チーム代表”になっていたからだ。しかし、フェルナンドは2020年のことなど気にもしていなかったし、その頃にはF1から引退するつもりだった」
──今から思えば、最大の過ちはアロンソと契約したことになるのでしょうか。
「フェルナンドをチームに迎え入れたものの、マクラーレン側の準備は整っておらず、うまくマネージメントすることができなかったのだと思う。事実上のチーム代表となったフェルナンドは、もっとも強力な存在となっていたからね」
「ドライバーが力を持ちすぎるのはよくあることで、現在のメルセデスがまさにそうだが、トト(・ウォルフ/チーム代表)はそれに抵抗しようとしている」
「ドライバーはチームの長期的な利益を考えているわけではなく、本質的には利己的なんだ。それこそがドライバーに求める資質であり、だからこそ彼らは強くなり、勝者になれる。だから、チームはドライバーに頼るのではなく、しっかりマネージメントする必要があるんだ」
「でも、当時のマクラーレンではマンスールやザック(・ブラウン/チーフエグゼクティブオフィサー)にも大きな影響力を持つフェルナンドが采配を振るっており、それは本当に馬鹿げていた。その状況に耐えきれなくなった私は4、5年前にマンスールと口論になり、反旗を翻したんだ」
「マクラーレンを離れた後も、2、3年は『もう自分には関係ない』と考えていたほどだ。その後、マンスールと仲直りはしたものの、少なくとも1年間は彼と関係がこじれたままだった。今となっては、マンスールと大喧嘩してしまったことを後悔しているよ」