2011年の全日本F3選手権で、Cクラスは関口雄飛(B-MAX F308)が、Nクラスでは千代勝正(NDDP RACING)が最終戦スポーツランドSUGOで大逆転でチャンピオンを獲得したのは記憶に新しいところ。そんなチャンピオンコンビふたりに、今季のこと、そして将来について聞いた。
2011年の全日本F3選手権は、近年まれにみる混戦となったシーズン。最終ラウンドを迎える時点ではそれぞれCクラスは安田裕信(ThreeBond)、Nクラスは野尻智紀(HFDP RACING F307)がリードしていたものの、最終ラウンドのSUGOで勝利を重ねた関口、千代が大逆転でタイトルを手中に収めた。
そんなSUGOラウンドから2週間近くが経ち、ふだんから仲が良いという関口と千代がオートスポーツweb編集部を訪問。ふたりに話を聞かせてもらった。
追いつ追われつのふたりのレースキャリア
Q:チャンピオンが決まってしばらく経ちますが、実感や変化はありましたか?
千代:飲み会が増えましたね(笑)。
関口:自分もそうですね(笑)。
千代:今まで全然連絡を取ってなかった友達からメールが来たりとか。
Q:SUGOのレースの後はふたりで飲んでいたとか。
千代:はい。レースの後は、ふたりとも応援していただいているスポンサーの社長さんと、連れてきた人と4人で、仙台で飲んでましたね。
Q:ふたりは仲が良いとか。それはどうして?
千代:新東京サーキットでやっている、パワーワークスというチームが同じだったんです。でも、年は一緒なんですが、世代が全然違うんです。雄飛がフォーミュラを始めた頃に僕がカートを始めたので。
関口:そうですね。自分がもうフォーミュラトヨタをやっている頃です。現場では会ったことがないんですが、担当のメカニックさんがたまたま一緒で、話を聞いていたりしましたね。
千代:雄飛にカートの乗り方とか教えてもらってました(笑)。
関口:あとは、その頃からスポンサーさんを紹介してもらったりしていたので、ふたりはスポンサーさんが一緒だったりします。
Q:ふたりはフォーミュラへのデビュー年も違いますよね?
関口:違いますね。僕は2006年にFCJとFTでタイトルを獲って、2007年にF3に上がってますからね。
千代:僕は2007年にFCJですからね。2006年は全日本カートをやって、07年にFCJだったので。
Q:追いかけている形ですね。
千代:そうですね。追いかけてます。
関口:抜かれちゃうんじゃないかと思っています(笑)。
Q:その後、Nクラスで一緒に走ったこともありますよね。
千代:やっと追いついた感じはありましたけど、雄飛が全然速くて。
関口:あんまりコース上で会ったこともありませんね。最初は僕が速くて、途中で僕が全然ダメだった。でもその頃にはあっちが速くなってて、全然コースで会わなかった(笑)。
千代:そうだね。富士で当たったこともあったけど(笑)。
意外なエピソード!? 今季参戦への道程
Q:関口選手は、今年途中参戦という形でしたが、参戦までの経緯を教えて下さい。
関口:去年は自分、全然稼げるところがなくて(苦笑)。その頃、全日本カート時代にひとつ年上だった人とよく飲みに行くようになってたんです。で、その人のお父さんが、今もカレラカップなどをやっている人だったんです。そのお父さんが、F4を買って練習したいと。でも、フォーミュラが初めてだった。今までは高木真一さんとかに教えてもらっていたらしいんですが、フォーミュラということで、僕がドライビングコーチとして呼ばれたんです。それがB-MAXさんのところだった。
その後、オフに忘年会に呼ばれたんですが、その時にB-MAXさんがコンストラクターとしてF4をやるという話になった。そこで初年度ということもあり、勝つためのドライバーを探しているらしく、僕から「乗せてもらえませんか」という話をしました。フォーミュラに乗らないより乗った方がいいし、セッティングを学べるというのが大きかったですね。もう完成しつつあるドライビング面よりも、セッティングはすぐにタイムに直結する。そこでF4に乗せてもらえることになりました。その後、F4で2戦くらいしたところで、トムスさんから車体を貸してもらえることになった。チームとしてはお金がかかるし、社長と相談したんですが、チームとしてもF3を来年か再来年にやろうと思っていたこともあり、「ちょっと早いけどやろう」と言ってもらいました。
Q:千代選手は昨年ル・ボーセに移籍、今季は再びNDDPに戻っての参戦でした。
千代:2009年は成績がだらしなくて、一度首を切られてしまって。「やばいな」と思っていた頃に、ル・ボーセさんから声をかけてもらい、なんとかスポンサーも集めて参戦することができました。ただ、昨年はNDDPがなぜかハマってしまい、僕がその一方でランキング3位に入ることができた。それを評価してもらって戻ることができた形ですね。
Q:ル・ボーセで良かったことが評価の基準だった?
千代:そうですね。僕もかなり崖っぷちだったし、必死にがんばって戻ることができました。1年目はNDDP自体も1年目だし、僕もF3が1年目だった。チームメイトだった(佐藤)公哉は海外で乗っていたのですぐにF3も乗ることができたんですが、僕はエンジニアさんもひさびさのF3でドタバタだった。でも、ル・ボーセに行ってからはチームは結果こそ出ていませんでしたがF3を長くやっているし、そこでセッティングなどいろいろと勉強できましたね。今年はそれをチームにもフィードバックすることができたので、ル・ボーセで学んだこと、チームの3年目の成長がうまく形になったと思います。集大成になりましたね。
Q:NDDPは他のメーカーの育成プログラムに比べてまだ結果が出ていませんでしたが、ホッとした?
千代:たしかに、「今年は勝つためにお前を乗せた」と言われてましたし、今年はそういう使命がありました。とは言え、トヨタ、ホンダのように長年F3をやっているチームと違い、ニスモさんがお金をかけているとは言え、3年目はまだまだ厳しかった。僕とNDDPで経験したことで、シーズン中盤は厳しいときもありましたが、最後のSUGOではすごくクルマも良かったです。
ドラマチックになった最終戦
Q:最終戦のSUGOでは、予選からドラマチックになりました。
関口:そうですね。予選では赤旗が出てしまいタイムが出せなかったこともありました。「ヤバいな」と思いましたね。
Q:日曜の2レースめでは、2コーナーでクラッシュがありました。関口選手はそのクラッシュをミラーで見ていた?
関口:はい。見ていましたね。“ラッキー”とは思いましたよ(笑)。
Q:ライバルの安田裕信選手がSUGOでは苦しい展開でしたが、それは知っていた?
関口:知ってました。でも、自分はそもそも今はメーカー系のドライバーではないので、チャンピオンを獲ってどうなる……というのが実はないんですよ。メーカーのドライバーなら、チャンピオンを獲れば次のチャンスが保証されているじゃないですか。でも自分はそうではないので、実はチャンピオンというのは“獲りたい”けど、メーカーのドライバーに比べて重要視していなかったんです。それよりも速さをみせたかった。ずっと2位を繰り返してポイントを獲るよりも、勝ちを狙っていました。チャンピオンのことを考えたのは最後のレースになってからくらいですね。
Q:千代選手は、関口選手とは逆の立場ですよね。
千代:はい。メーカー系のチームでチャンスをもらってますからね。でも、結果が出なければ首を切られるのは1年目と同様です。今年は“チャンピオン獲って当たり前”くらいに思われていたのに、最終戦前には16点差で迎えて、ここで最低でも3レースどこかでいい形で勝たなければ来年は無いな、と思っていました。16点差は自分の力でなんとかなるものでもなかったので、ベストのレースをしようと思っていましたね。
Q:ターニングポイントは、やはり2レースめ?
千代:安田さんがスピンしてその後ろで中山(雄一)くんが飛んで、僕はその直後にいたので詰まってしまい、止まってしまった。その時に(佐々木)大樹に抜かれたのは予想外でしたが、2レース目のグリッドが野尻〜中山〜僕だったので、あのグリッドのままゴールしていたらチャンピオンの可能性がなくなっていた。抜けないコースなのでヤバいと思っていたんですが、あのクラッシュが起きた。「こんな事あるんだ……」と思ってましたね。
(続く)