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ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2020.06.28 14:00
更新日: 2020.06.28 14:02

2006年プチ・ル・マン、ドライバーとして挑んだコリンズに仕掛けられたチームの巧妙な“罠”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

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ル・マン/WEC | 2006年プチ・ル・マン、ドライバーとして挑んだコリンズに仕掛けられたチームの巧妙な“罠”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回はコリンズがドライバーとして挑んだ2006年アメリカン・ル・マン・シリーズ第9戦プチ・ル・マンの後編。サポートイベントに出場するべく渡米したコリンズでしたが、彼を起用したチームは裏の思惑がありました。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 2006年、私はIMSAライツに出場するべく、プチ・ル・マンが行われたロード・アトランタを訪れた。

 チームが用意してくれたホテルは事前に聞いていたものとはちがうモーテルのような宿だったし、ヨーロッパから持ち込んだヘルメットはレギュレーションに合わないと言われ、急きょ新しいものを借りる必要に迫られた。挙げ句、私が乗る予定だったマシンはプラクティス前日だというのに組み上がってすらいなかった。

 マシンを組み上げていたエラン・モータースポーツのスタッフは2回目のプラクティスセッション(練習走行)までにマシンを用意すると私に約束した。しかし、このパーツの山が近いうちにコースを走れる状態になるとは到底思えなかった……。

 そして次の日、最初のオープンプラクティスセッション(練習走行)のためにサーキットに行ったが、私のマシンは影も形もなかった。

 私はレースで使うパノス・エランDP04を走らせた経験はなかったし、ロード・アトランタを走ったこともない状態だったため、走行距離を稼ぐ必要があったのにピットウォールからセッションを眺めることしかできなかった。

 さらに、私のマシンを走らせるはずのチームスタッフは食料の買い出しに出かけてしまった。誰かがチームのメカニックやドライバー(とそのガールフレンド)たち全員に、何を食べたいか聞いて回っていたが、私は無視された。私だって空腹だったのに。また、パドック内に食事を摂れるところもなかった。そういったお店は観客が入る翌日まで営業しないからだ。

 そんな状況に置かれた私は、パドックを歩き回ってさまざまなチームと話をすることにした。そこで私が所属するパノス・エランにとってIMSAライツにおける最大のライバルであるウェスト・レーシング・カーズのスタッフとも言葉を交わした。

 するとウェストのオーナーが、もし私のマシンが次のセッションにも間に合わなかったら、彼のチームのスペアマシンを使ってもいいと言ってくれた。このオーナーは非常にフレンドリーだった。

 また、私のチームがランチを用意してくれなかったことを耳にすると、彼は私のためにハンバーガーを作ってくれた。それも美味しいハンバーガーをだ。もし2007年にふたたびIMSAライツを戦うなら、私は間違いなくウェストからの参戦を望んだだろう。

 ただ、私はウェストのマシンを使ってもいいというオファーを丁重に断った。パノスは私のために新車を組み立てようとしてくれていたし、そのために資金もつぎ込んでいたから、ライバルチームのマシンを使ってプラクティスをこなすのは不誠実なふるまいだと思ったからだ。

 しかし、あとからふり返れば、この判断は大きな間違いだった。私はウェストのマシンをドライブするべきだったのだ。彼らのマシンはパノスのものよりはるかに優れていて、もしウェストのマシンをドライブしていれば、翌日の結果は変わっていたのだから。

 2回目のプラクティスセッションスタート時刻が迫ってきたにもかかわらず、依然として私のマシンは準備ができていなかった。チーム代表に尋ねてみても肩をすくめるだけ。私のマシンについては、まったく気にしていないようだった。

 そのあとマシンの組み立てを担当していたエランに電話してみると、マシンの準備は整っているから引き取りに来て欲しいと言ってきた。そのことをチームに伝えると、彼らはエランがマシンをサーキットに持ってくるべきだと反論した。

 こうしたやり取りをしている間にセッションが終わってしまい、結局2回のプラクティスセッションを逃してしまった。私に残された走行時間は、予選前の1セッションだけだ。

 そして迎えた予選日、ようやくマシンが届いた。さっそく乗り込んでみたがシートが体にフィットしなかったので、チームに頼んで取り外してもらった。シートなしの状態で乗り込むと、私の体にはぴったりだった。

到着したパノス・エランDP04に乗るサム・コリンズ
到着したパノス・エランDP04に乗るサム・コリンズ

 こうしてようやく、私は3回目のプラクティスセッションで初めてコースを走ることができた。ピットを離れると、すぐにふたつのことがわかった。ひとつは私のマシンがドライブしにくいものだということ、もうひとつはロード・アトランタが素晴らしいサーキットであるということだ。

 私が乗り込んだパノス・エランDP04のエンジンとギヤボックスには大きな問題はなかったが、電気系はめちゃくちゃだった。ダッシュボードには今何速のギアで走っているのかが正確に表示されなかったし、エンジンの回転数も出なかったのだ。そのため、わたしはエンジン音だけを頼りにシフトチェンジのタイミングを見極めなければならなかった。

 ピットに戻ったあと、この件についてチームに伝えたが、彼らは1速でピットを出たあと、ギアチェンジの回数を覚えていれば、自分が今何速で走っているかは分かると返答してきた。レーシングスピードで走るなか、それがどれだけ難しいか分かっていないのだろうか。

■アメリカン・ドリームを悪夢に変えたチームの“罠”


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