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F1 ニュース

投稿日: 2023.10.11 18:10

ネルソン・ピケが1988年『ロータス100T』を語る。最強のホンダエンジンを積みながらも低迷したワケ

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F1 | ネルソン・ピケが1988年『ロータス100T』を語る。最強のホンダエンジンを積みながらも低迷したワケ

 それにしても、ピケはそもそもなぜロータスと契約する気になったのだろうか。質問への回答は、いたって率直なものだった。

「ロータスへの移籍を決めた理由はふたつある。ウイリアムズは私とナイジェル(マンセル)のコンビ続行を希望していたが、エース級のドライバーが同じチームで張り合ってもいいことはひとつもない、というのが私の信念なんだ。お互いにポイントを奪い合うわけだからね。その最悪の見本が86年。物の見事に、漁夫の利をさらわれてしまっただろう」

「しかも、私がブラバムで経験したまったく同じことをウイリアムズでも味わう羽目になった。当時の相方はリカルド(パトレーゼ)だが、彼はBMWのエンジン開発に手を貸そうなんて気はこれっぽちもなくて、すべてを私がやっていた。それを見てバーニー(エクレストン)は、リカルドにコスワースV8エンジンを搭載したマシンを与えた。ところが、彼は私がBMWエンジンでカナダGPを制したのを見て、やはり自分もターボカーに乗りたいと勝手なことを言い出したんだ」

「ウイリアムズに話を戻すと、私は86年にディファレンシャルのテストで散々苦労して、翌87年はアクティブサスにかかり切りだった。ナイジェルは、その手のモノははなから信じていないという態度。ところが私が勝った途端、自分にあてがわれた装備が劣っていると文句を言い出した。苦労したのは私なのに彼が良い思いをする、いつものパターンだ」

「とことん懲りた私は、今後は明確にナンバーワンを謳った契約しか受けない、と心に誓ったのさ。ほかにも、ロータスの提示したギャラが格段に良かったというのもあるけどね。年間750万ドル(約9億6000万円)というオファーは、ウイリアムズが前年に払ってくれた額の3倍だったんだよ」

チームでのナンバーワンにこだわってロータスへの移籍を決めたネルソン・ピケ
チームでのナンバーワンにこだわってロータスへの移籍を決めたネルソン・ピケ

 グランプリ通算23勝を誇るピケにとって、F1わずか2年目の中嶋悟が深刻な脅威となろうはずもない。それどころか前年にセナの相方を務め、日本人初のポイントゲッターとなった中嶋とピケの関係は、思いのほか良好だったという。

「サトルとは、とてもうまくいっていたよ。とても物静かな人物という印象を受けた。ただ、経験不足はやはりどうしようもなかったね。セナは、自分のデータやフィードバックを彼と分かち合うことを拒んだらしいじゃないか。一方、私は別に構わんよというスタンス。だから打ち合わせとかでも、サトルに聞かれたことは何でも正直に包み隠さず答えていた。私の方が速いことは分かっていたからね。ナイジェルが相手だと、それはさすがにできないし、したくもない。ただ、彼は英語があまり得意じゃなくて、私にしろエンジニアにしろ、話が通じていないと感じることがあった」

 88年末にはホンダのエンジン供給がなくなると分かっていて、そこでチームはサトルの後釜を探し始めた。一度は(ジョニー)ハーバートで決まったが、F3000のクラッシュで大怪我を負ってダメになり、次に候補に挙がったミケーレ(アルボレート)は結局、ティレルを選んだ。それでサトルに、もう1年やってもらおうということになったのさ。彼に付いていたエプソンの支援も、多少は効いたんじゃないかな」

チームメイトはF1参戦2年目の中嶋悟だった
チームメイトはF1参戦2年目の中嶋悟だった

■初テストで問題続出

 ロータスとピケにまつわる物語は、早い段階から不吉の様相を見せ始めていた。100Tの最初のテストをポールリカールで実施したときの様子を、ピケは今も鮮明に記憶しているという。

「まずはどんなマシンか知りたくて、ドゥカルージュに半日くれと頼んだんだ。何であれ、自分がやりたいようにやってみたいとね。彼が了承してくれたので、手持ちのスプリングで一番ソフトなのを装着して走ったんだ。いったん戻って、今度は一番硬いのに換えて走り出す。もちろん比較するためだが、驚いたことに何ひとつ変わらない。乗り味がまったく同じなんだ」

「続いて、ロールバーでもダンパーでも、キャンバーを変えたときですら同じことが起きた。ドゥカルージュにはこう説明したよ。こういう症状は、シャシー剛性が不足しているときの典型だとね。スプリングに負荷がかかる前に、シャシーが撓んでしまう。コーナーの入口でひどいアンダーステアが出ていたのも、そのせいなんだ」

ロータス100Tをデザインしたジェラール・ドゥカルージュ(左)
ロータス100Tをデザインしたジェラール・ドゥカルージュ(左)

 マシンが新しくなり、さらにテストを続けても、その症状はまったく変わることはなかった。

「いろいろやってみたけど、解消できなかったね。ボディの真ん中の部分が、特に捻れる。ちょうど、シャシーとエンジンの間あたりだ。若干傾け気味にマウントしていたことも影響していたのかもしれない。後に新しくモノコックを作り直して、それで少しはマシになったが完璧にはほど遠い。シャシーとエンジンのつなぎ目の部分は、依然としてヤワなままだったのさ」

 マシンを良くすることに貪欲かつ厳格なピケにとって、シャシーの剛性不足は徒労以外の何ものでもなかった。

「100Tの最大の弱点は剛性不足。それはシャシーだけでなくサスペンションにも当てはまり、減速時にものすごく不安定になったり、コーナーで負荷がかかったときにバランスが変化するという症状になって現れていたんだ。どんな開発も意味をなさなくなるという問題だ。それは当然で、マシンにボルトで固定されたコンポーネントはどれも、土台となるプラットフォームが堅固という前提条件で機能を発揮するよう作られているからだ」

「例えばスプリングは、ボディ本体に衝撃が伝わらないようにするためのもので、その役目はバネが硬かろうが軟らかだろうが変わらない。ブラバム時代に私が学んだことさ。ある物がどれだけ硬いか知りたければ、硬い物の上に置いて調べなきゃダメ。ゴードン(マーレイ)は、いつもそういう言い方をしていたよ」

「この視点で物事を見れば、パッケージのどこが問題かを見分けるのは、そう難しいことじゃない。私がウイリアムズに移籍したとき、パトリック(ヘッド)に真っ先に指摘したことで、彼はその意見を取り入れてくれた。88年のロータスで何が不満だったかというと、今説明したような“基本原則”に基づいたマシン作りがなされていなかった、ということなんだ。私なりにベストと思えるバランスを見つけ出した後でさえ、チームは足踏み状態を続けていた。本来ならば、ファインチューニングはそこから始まる。その段階でマシンが何をやっても反応しないとしたら、もうできることはほとんどないんだ」

シャシーの剛性不足により、サスペンションのチューニングを進めることができずチームは足踏み状態に
シャシーの剛性不足により、サスペンションのチューニングを進めることができずチームは足踏み状態に

 そのためか100Tは、シーズン中にアップデートが施されることがほとんどなかった。いくら変えようとしても変わらなかったというのが、より実情に近いのかもしれない。具体的にはビルシュタインのダンパーを一新、モノコックの剛性を上げ、ホイールベースを長くするなどの変更が行なわれているのだが、どれもめぼしい効果は得られなかった。

「ビルシュタインのサスペンションシステムがきて、ドライバー的には少し楽になったかな。シーズン半ばに導入されたもので、3種類の異なるセッティングをコクピット内のスイッチで選べるようになっていた。それでセットアップ行程を省略できるというわけだ」

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